ゴスペルメッセージ 廣瀬晴代師
「あなたを愛しておられる神」Ⅰヨハネの手紙4章9節
「神は、独り子を世にお遣わしになりました。
その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。
ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」
Ⅰヨハネの手紙4章9節
誰でもこの世に生まれたからには、有意義な一生を過ごしたいものです。たった一度の人生ですから、大切にしなければなりません。
しかし、人の一生には楽しいこと、素晴らしいことが多くあると同時に、苦しいこと、思うようにはいかない事、つらいことも多くあるのではないでしょうか。苦しむ時、理解してくれる人がいなければ、苦しみもより深いものになります。
辛く苦しい時に、心から同情してくれて手を差し伸べ、慰めてくれる人があれば、心強く、力が与えられて、苦しみに立ち向かうことができます。
きょうは、私たちを理解し、助けて下さるお方を紹介したいと思います。
真の神は私たちが神を知らなくても、私たちをご存じです。私たちは自分の髪の毛が、一体何百万本あるのか知りませんが、神はご存じなのです。
私たちの存在を知り、心の中のすべてを知っておられます。
人は誰でも罪を持って生まれてきます。アダムとエバがエデンの園で神に背いたときに入ってきた罪です。
罪が真の神と人との関係を遮断しました。
神との関係が修復されないと、神の命、祝福をいただくことができません。
それで、神は救いの御計画をお立てになりました。神の独り子イエスキリストを、この世に遣わされて、すべての人の罪の身代わりとして、十字架の死を遂げられるというご計画です。
人の罪とは、犯罪のことではありません。もちろん、犯罪はしてはいけないことです。犯罪は心の罪が具体的に表に出ることです。心で人を憎むだけであるなら、逮捕されることはありません。しかし、憎しみのあまり傷をつけると、それは犯罪になるのです。
心で考えるだけなら構わないと思うかもしれませんが、神が問われるのは心の中なのです。
人の心にある自己中心を神は問われるのです。
罪によって神と断絶したままでは、神の救いと祝福を受けることはできません。
神との交わりを回復するために、イエス・キリストはこの世に来て下さいました。
本来、人が自分の罪の罰を受けるべきであるのに、イエス・キリストはすべての人の罪を贖うために、十字架に架り命を捨ててくださいました。そして、三日目に復活されて、今も私たちを愛し、私たちの為に救いの手を差し伸べ、祈り続けてくださいます。
私を愛し、私の為に命を捨ててくれる人が、誰かいるだろうかと考えます。なかなかそのような人はいません。
しかし、神はイエス・キリストの十字架を通して愛を表してくださいました。
私たちは真の神を知りませんでした。しかし、神は私たち一人一人を知っておられ、罪があるまま愛してくださいました。
イエス・キリストを信じ、罪を悔い改める時、人は新しくされます。
新しい命に満たされ、主イエスと共に人生を送ることができます。
永遠の命に生きる者とされるのです。
主イエスは私たちの心の戸の外に立って、きょうも戸をたたき続けておられます。
「わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」黙示録3章20節
イエス・キリストは、あなたの心の戸をたたき、真の愛を受けて生きるようにと勧めておられます。
皆様が神の愛を信じ、神の祝福を受ける人生を送られますように、心からお祈りを致します。
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