年 月 日礼拝メッセージ

「神の約束と希望と愛」            聖書の箇所:ヨハネ13章1−17節

 レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」(1495−97年)の絵は、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラーツエ教会の食堂に書かれている。大きさは縦490センチ、横910センチである。遠近法で描かれているこの絵は、近くから見るのと遠くから見るのとでは不思議なことにまったく違う雰囲気である。教会は修道院で、その食堂の壁に描かれている。第二次世界大戦のときに爆撃を受けて教会は全快するがこの壁画は不思議に残されたという。修道僧がひたすらキリストを思い、キリストに倣うために黙して食事をしながらキリストの最後の教えを想起したに違いない。

 朝早くから人々は、この名画を見るために集まり、朝9時ともなると大きな群集になる。一枚の絵を見るために人々が世界から毎日集まるのである。四,五十人単位で時間を区切って会場に入り、鑑賞する。言葉にならない厳かな雰囲気がある。

 イエスキリストは弟子たちと別れの最後の食事と共にされたのである。「主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝して言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』。」(コリントT、11:23−24)同じくぶどう酒についてもご自分の血であることを言い聞かせられた。今日の聖餐式は、キリストの体と命を受け継ぐものとして繰り返し、キリストを思い出して神の家族としての一体感を経験することになる。

 マリア・デレ・グラーツエ教会の修道僧たちは、食事度ごとにダビンチの絵を見てキリストと共に食事をする最後の晩餐を追体験していた。今朝、与えられている聖書の言葉はヨハネの福音書13章である。最後の晩餐の前にイエス様が、弟子たちの足を洗われたときのことである。この洗足があってイエスは弟子たちと共に食事をされたのである。

 第一に、ここで当然、弟子たちは先生が弟子の足を洗うということは考えられなかった。そもそも当時、足は僕が必ず洗い、手を自分で洗って食事をするのがならいであった。当然、弟子はイエス様の行為をやめてくださいといっている。しかし、イエス様は「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる。」と言われている。イエス様に洗われると言うことが大切である。罪の許しは、神の恵みである。与えられるものであるということを意味している。第二に、イエスが足を洗われたごとくに洗い合うことを教えられた。互いに愛し合い、仕えあうことによって神の御心を実行することを命じられたのである。第三に、どんな時にも、主イエスが仕えられたのだから、どんなときにも人に仕える心を忘れることなく謙遜に仕合いなさいといわれる。

 罪赦され神の子とされて、神の家族となり一つとされる。真実の食事の喜びは、共に同じ心になって喜びを分かち合うことから生まれる。最後の晩餐を通して、受難の日が訪れる。やがて、イエス様は贖罪のために十字架にかけられる。

 「まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、
   神は私たちに対する愛を示されたのである。」(ロマ5:8)

今週のみ言葉
  「神はわたしたちの罪のために、罪を知らないかたを罪とされた。それは、わたしたちが
   彼にあって神の義となるためなのである。」 コリントU、5章21節

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