「キリストにある恵みの力」 

「神の国がいかに栄光に富んだものであるか、また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じるものにとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。」(エペソ1:18−19)

 拉致問題に取り組む横田早紀江さん親子とブッシュ大統領の会談が放映された。早紀江さんが「お忙しいのに時間を割いていただき有難うございます。」と言うとブッシュ大統領は「人の尊厳や自由について考える時間が無いほど忙しくはありません。」といわれていた。また会談の中で「国家の命令で幼い子供を拉致するという血も涙もない国は世界の尊敬を受けることはできません。」とも言っていた。

世界の突出した超大国の大統領の発言は重みがある。アフガンにつぐトルコの戦争とブッシュ大統領のイメージは強者の論理で決して良いとはいえなかった。しかし、「母親が子供の拉致を心配しないですむようにしなければ」という言葉は聴く人の心を感動させたに違いない。力ある者が真実に一人の人間の尊厳と自由を尊び守ることは現実的に人々の希望となる。

日本では今日のアメリカの強者の強引な政治手法はしばしばネオコンと言われているが、ネオは新しい、コンはコンサバティーブといって保守の意味です。保守という言葉は政治の世界では日本でしばしば談合と利権政治のイメージや古い体質を守ることに使われる。

アメリカの保守は建国の土台となっている聖書のことばを神の言葉と固く信じ、その理想を実現することを意味する。それが人の自由と生命の尊厳、平等と共生の愛の精神である。一人の人の生きる権利を保障するものである。アメリカには自由はあるが、それが個人の欲望と欲情であるとき健康で健全な社会は破壊されることになる。

聖書は「自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ5:13)「肉」とは自己中心の欲情である。そこには家庭破壊や不倫、同性愛、中絶による生命軽視、無責任な混乱と争い、冷酷な拝金主義、弱者切捨ての社会となる。

聖書は「愛をもって互いに仕えよ」という。この愛を聖書は「愛は寛容、情け深い、ねたまない、高ぶらない、誇らない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない、不義を喜ばない、真理を喜ぶ、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」(コリントT13:)と言い表している。愛が働くところに調和と平安が生まれる。

問題は自分が神の国の理想を実現するものとして自己絶対化して行過ぎることは赦されない。時代を超えて、国家、民族を超えて理由なく子を失う親の悲しみを真実に共有できる偉大な権力者があることに聖書の光を見ることができる。

「国家の品格」という本に武士道精神の復活が礼讃されている。秩序、礼儀、つつましさ、卑怯を卑下する態度、潔(いさぎよ)さ、命より名誉を重んじる(切腹)ことがあげられている。しかし、根本は生命軽視、人権無視、不平等の世界であることは間違いない。今日の平和憲法は人権の尊厳と自由と平等を基本としている。

世界に誇るこの憲法は長い歴史の流れの中で聖書から生まれているといえる。神のうちにある「力」、それはキリストに表された神の叡智と愛、救いと解決の道の福音の教えが「力」エネルギーとしていつも人の幸福のために働いている証拠である。




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