「世の光キリスト」   マタイ5章13−16節

 この聖書の箇所はイエス・キリストが語られた「山上の説教(垂訓)」として知られている。
その中心的なメッセージは「あなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたの父(神)をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)である。神を信じることは人生の目的を与えられることにほかならない。神様を信じことによって「よいおこない」という結果が表されて神様を信じることが素晴らしいということを表すことである。

神様を信じる実によって、神様の素晴らしさを経験することである。そして神様をあがめることになる。「よいおこない」ということは第一に「あなたがたの天の父が完全であるように、あなたがたも完全なものになりなさい。」(6:48)というお言葉のようにクリスチャンとして神様の御心に生きることを意味している。

ウエスレーはそれを「キリスト者の完全」といった。簡単に言えばクリスチャンは基本的に「神の愛」をもって考え、思い、純粋に神の愛に生きることをいっている。その思いが具体的に生活に表されることによって破壊され、崩れた人生か回復され神の約束される調和と平安が表されることである。聖書は神を信じない人生は自己中心となる傾向に生きることになる。自己中心は欲望が動機となり、絶えず、欲情と欲望にさいなまされる。

聖書は言う「肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである」(ガラテヤ5:19−21)。それに対してキリストを信じる人に与えられる約束は「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制である」(ガラテヤ5:22−23)である。その結果は調和と健全である。当然そこには平安と希望があることになる。

 また、「よいおこない」は、神の御心に生きることであって、神に信頼する生き方である。それは、神の善意と力に信頼することでもある。「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない。」(マタイ19:26)全能の神に信頼するとき「信仰による祈りは、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。」(ヤコブ5:15)と約束されている。ロマ書5章の5節には「希望は失望に終わらない」といっている。「よいおこない」は聖霊の実を結ぶと共に、神の御心に生きる人に与えられる恵みとしての「癒し」や「奇跡」の恵みのみを約束しているのである。

 その結果、生ける神がおられることが証しされることになる。闇のような絶望的な破壊された人を回復され、品性を整えられ、憎しみと争いに寛容と平和、調和と和睦を持って平安を与えられる。病気の苦しみ、生きる絶望の中にある人にも希望を与えられる。「世の光」として神の栄光を輝かすことになる。

 その光をともし続けなければならない。それは、いつも神の命である聖霊に満たされ、キリストの思いがいつも心を支配するように祈らなければならない。キリストの愛はこの世の光として希望となり、地の塩として真実の平和と正義を人々に約束し、キリストを信じる人々を通して実現される。

今週のみ言葉  マタイ5章13−14節「あなたがたは、地の塩である。あなたがたは、世の光である。」



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