「家族の幸せと信仰の心」   マタイ26章26―31節

「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなた方とともにいるのである」(マタイ28:20)。今国会で教育基本法の改正が継続審議になった。その論点は「愛国心」である。国を愛することは国民の自然な心情である。

問題は、日本のたどってきた歴史は為政者によって「愛国」の名によって国民の生命を紙くずのように扱ってきたことから、「愛国心」が問われている。簡単に言えば、家族と国家はともに生きる家とも言える。家族の責任は父母が持ち、命を守り、家族を養い、教育する。そこに家族の一致、平安がある。

国もみんなが幸せに生きる共同体である。国家の責任を持つ人は国民の生命と安全を守り、生活と教育を保障することが基本である。そこで国が安全を守るとき最大限国民のいのちの犠牲をなくすことが大切である。

父母が子供を犠牲にして自分を守り、自分の快楽を優先したら家庭は破壊する。国家に基礎には家庭がある。共通していることは家族を守り、幸せにする土台が必要である。

今その土台が家庭に中にも国にも失われていることである。家庭の土台は信仰心にある。命を大切にする真実の宗教が求められている。

 今の教育基本法は「愛国心」の言葉はない。しかし、「宗教教育」への寛容と「尊重」は明記している。信仰はひたすら心の問題である。イエス・キリストは最後に「みんなのものが一つになる」ことを祈られ、「互いに愛し合え」(ヨハネ13章:34)と戒めを与えられた。

それは、キリストによるみ言葉を信じる信仰と愛の一致である。使徒パウロは「すべての人と平和に過ごせ」(ロマ12:18)「互いに重荷を負い合いなさい」(ガラテヤ6;2)と諭した。そして、パウロは「わたしたちの国籍は天にある」(ピリピ3:20)と言った。クリスチャンにとって家庭から始まり、国から全世界の人々を神の愛の家族としている。

イエスは弟子たちとの別れの言葉に「世の終わりまで、あなた方とともにいる」と言われている。キリストを信じる人と共にいてくださる。それは、キリストの霊、すなわち聖霊として信じる者と共にあって教え、慰め、励まし、支えて下さる。

教会では「聖餐式」が繰り返しおこなわれる。同じパンとぶどう酒をみんながいただく。「これはあなた方のための、わたしのからだである。わたしを記念するために、このように行ないなさい」と主の言葉が繰りかえされる。

これは初代の教会では食事で始まったと言われている。食事は命である。創造の初め命は自然の中で支えられ育まれてきた。そのいのちの根源者である神に感謝することにある。

また、キリストは十字架に人々の贖罪となり神の愛を示された。人は愛と赦しなくして真実の平和と幸せを得ることはないのである。それを思い出し、人は罪深さを自覚して悔い改めて再び新しくされる。そこに一致が生まれ、平和と協調、真の友愛が確かにされる。

家庭でも食事は大切な礼拝のときとなる。キリストを信じる信仰によって、神の愛に生きる家族の確認である。父も母も、子供のキリストにあって神の家族である喜びを分かち合う。

祈りと感謝と賛美がささげられる。キリストの愛をもって家庭を築き、社会に奉仕し、国を守り、平和と幸せを共有する力を与えられる。クリスチャンは善良にしてよき市民であり、国民であり、世界人でもある。

「国籍は天にある」ハレルヤ。

 今週の聖書 ピリピ3章20節


ページのトップへ
  
2006年の礼拝メッセージ一覧へ

他の年の礼拝メッセージへ

トップページへ
年 月 日礼拝メッセージ