「和解の福音」

  「神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、
   かつ和解に務めをわたしあっちに授けて下さったのである」(Ⅱコリント5:18)

 福音と言う言葉は、英語でグッド ニュースと言う、よい知らせの意味である。また、グッド タイディングスとも言う。これはよき便りである。

 先週は北朝鮮からミサイルが発射されて日本は大きな衝撃を受けた。今の世界は依然として力の均衡で平和が保たれている。国家が他国の国民を意味なく拉致したり、偽札や、麻薬を密輸して社会混乱をきたすことは赦されないことである。しかし、現実にはそのようなことが起こっている。何故そのような無謀なことが起こるのであろうか。理由は単純である。貧困である。貧すれば鈍するという言葉もあるように「貧乏になると頭の働きが鈍くなり、品性がさもしくなる」(広辞苑)とある。生きるため、体制を維持するために人間性を失うことになる。人間としてしてはならないこと、しなくてはならないと言う人間の持っている本質的な情緒や理性が失われてしまうのである。国際関係の不条理な出来事は人類の歴史始まって以来、連綿と続いている。そして、身近な生活の中でも家庭の中で、会社や学校で、ビジネスの世界で毎日のように人間性を失ったひどい犯罪が起こる。

 人間は生きるために駆け引きし、争うことになる。それが競争社会である。自由競争は強いものが勝つことになる。資本の大きいものが、小さいものに勝つことにもなる。競争社会ではルールとそれを守る自制心が平和の基礎となる。

 あるとき小学校の運動会で身体に障害のある子供と健常な子供が一緒のレースをするのを見た。みんな一生懸命に走る。障害の子供は当然遅くなる。それでも最後までみんなが見守る中で完走した。そのとき会衆から一際大きな拍手と歓声が沸いた。感動の渦が巻いた。そして、賞品は等別でなく同じ参加賞である。生きることは人生のレースを走ることでもある。力のない人もいる。いろいろな能力に秀でている人もいる。人はみんなの力を借りて生きることになる。共に生きることによって人は人間になるという。

 どんな人でも競争社会では、自己中心の誘惑にいつもさいなまされることになる。そこでは人間の理性や知性は忘れ去られて、人間としての愛し合って生きる原則を失うことになる。そして、人を傷つけ、争い、憎しみ、偽善と駆け引きの渦から逃げることはできない。生きることは罪に生きることになる。そこには猜疑と不安が付き纏う。真実の平安と平和はいつも脅かされることになる。

 聖書は「あなた(神)のみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です」(詩篇119:105)といっている。キリストの真理の言葉は、人の心を照らし闇の部分の明らかにして人間としての「罪」、すなわち「してよいことと、悪いことを」わきまえ知らせる。そして、神の御心を明らかに教える。

キリストは罪の贖いとなって、真実に人が人を愛して生きる希望を与えられる。罪の赦しこそは和解の鍵となる。神を知ってこそ罪が分かり、悔い改めあり、罪の許しがなされる。共に生きることは赦しあって生きることであり、真実の平和と平安はキリストの福音の中に約束されている。キリストこそ希望の光、勝利の光である。ハレルヤ



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