「人生の進歩と勝利」   テモテの第一の手紙4章1-16節

 「目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる
   神の賞与を得ようと努めているのである」(ピリピ3:14)

 人生の出発は誕生であり、ゴールは死で終わる。人は様々な生い立ちの環境の中で生を受け、様々な人生のレースを走ることになる。レースには目標がある。目標が死であるならば「人生は儚(はかな)い」ものとなる。

しかし、聖書は「キリスト・イエスによって約束されている神のみ国、天国への祝福」がゴールとなると言うのである。その賞与はキリスト・イエスにある永遠の命である(ロマ6:23)。

 人類が創造主なる神を忘れ、創造の目的を見失ったことによって死が終わりとなって、そこには消滅と絶望、虚無と孤独、不安と悲壮しか残らなくなる。

本来、神は愛であり、創造の原理は神の愛を表し、神の栄光を証明することにあった。「天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」(詩篇19:1)

しかし、神を忘れた世界は神様との調和、自然の調和、人と人の調和、また、人の内面での心の調和が失われる結果、世界は混沌と対立、強者生存が残され争いと不安、不信と猜疑の恐怖が襲うようになっている。

 神は、御子イエス・キリストを遣わし、神の御心とその愛を現実に証明することによって、神の国を生きる喜びと希望を与え、人類の贖罪となって十字架で死なれた。

そして、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じるのは、たとい死んでも生きる」(ヨハネ11:25)と言う言葉通りに死んで3日目に復活される。神を信じる人にとって死は終わりでなく永遠の始まりとなる。

 クリスチャンにとって死こそは、人生の完成の始まりと言える。そして、現実の生活は神の栄光を表すことが目標となる。人は、生まれて神様の栄光を表す目標をもって神に喜ばれる完成を目指すことになる。

現実は神無き世界、緊張と不安の連続、憎しみと対立、争いとしばしば混乱がとなる。そこで神の約束される真実の平和、安らぎと喜び、愛と調和、希望と回復が、キリストの御心に生きることで実現される。

 それは戦いでもある。しかし、キリストは「この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。(ヨハネ16:33)と言われ、また、「いつも、あなたがたと共にいるのである」。(マタイ28:20)と約束されている。

キリストは信じる人と共にいて、聖霊としてキリストの御心を教え、訓練し、守り、啓発を与え、慰め、励まされるのである。

 聖霊に生かされることは、聖霊によって生きることである。そこにキリストの御心が知恵と力として働くことになる。勝利者は、まず第一に、情報を受け入れる心の豊かさと能力を持つ、第二に、その情報をキリストに喜ばれることが何であるかを機銃に選ぶ、知性と意志を持つ。

第三に、選んだ知識にもとづいて訓練し、学習する力をキリストは与えられる。第四に、人生の戦いに聖霊の知恵は一つ一つを克服して勝利に向かわせる。

この中でクリスチャンは一歩一歩人として成長しキリストに近づき、似せられ、完成させられていく。

「すべてのことにあなたの進歩が現れるため、キリストのお教えを実行し、それをはげみなさい」。(テモテⅠ、4:15)勝利の人生を喜ぶために。

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