年 月 日礼拝メッセージ

「平和の尊さ」  信教の自由の日(8月15日を前にして)

 テキスト ロマ人への手紙 12章9節―21節

「あなた方は、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい」(ロマ12:18)

 8月6日は広島に原爆が投下された日である。9日は長崎でも原爆が投下された。一瞬にして両都市で約21万人の市民の命が失われた。人類歴史始まって以来の惨事である。その後15日に終戦を迎えた。広島平和記念公園の慰霊碑には「安らかに眠って下さい、過ちは繰返しませぬから」の碑文が刻まれている。

極東軍事裁判の弁護人であったインドのパール博士が1952年11月、この碑文を見て「原爆を落としたのは日本人ではない。落としたアメリカ人の手は、まだ清められていない」といったことから原爆の過ちは誰にあるのか議論が巻き起こった。
 碑文の主語は誰なのか。誰が過ちを繰り返さないといっているのか。「繰返しませぬから」か、「繰り返させませぬ」かといったことが主な論争点であった。その後、碑文の改正や抹消を求める運動が起こり、1970年、当時の山田節男広島市長も、「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。

主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を発表して今日に至っている。それは戦争の責任を問うものであり、今日の靖国問題に繋がっている。

小泉首相が靖国神社に詣でることへの中韓両国の抗議が根強くある。日本の多くの政治家の戦争責任観が問われている。歴代の首相が戦争の謝罪を繰り返しても、中韓両国が靖国問題にこだわるのは何故なのか。それは戦争責任を問われたA級戦犯の合祀にある。戦争の責任は国民にはないという。そこで、中途半端な政治家や識者は、文化の違い、また、大陸侵攻や太平洋戦争は正当な戦争ということを主張する。

しかし、戦争には善悪の道義性は問えない。それは政治の道義と巧拙の問題である。政治は権力と支配であり、どの時代にも政治家に問われる責任は重い。政治は共に生きることであり、妥協の産物でもある。

人類の歴史は、強者が弱者を支配し統合と離散を繰り返してきた。今日では弱者が決定的な力(核兵器)を放棄することによって国家の平穏と安全が何とか保障される図式が国連によって出来ている。これも決して確かなものではない。歴史は近代において科学の進歩と兵器の開発によって20世紀は血の世紀といわれる殺戮が続き、弱肉強食で列強の世界的殖民地収奪、侵略が続く。

日本は270年の太平の鎖国の扉を黒船来襲によって開かせられる。明治の元勲は日本の植民地化を食い止め、文明開化の元に欧米の文化を急激に取り込む。欧米列強はアジアでの殖民地収奪闘争を展開、その阻止のために日露戦争となり、その経緯で朝鮮併合となる。

日本は満州の権益の紛糾から国際連盟の勧告を拒否して、孤立の道を選び、軍部が台頭する。明治憲法は天皇絶対権の下に議会があった。「万機公論に決す」としたが、議会と政府は天皇を輔弼(ほひつ)(助けるが提言者に責任を持たせる)し、現実は奏上(そうじょう)を承認する形式であった。

さらに軍の統帥(とうすい)権は独立して天皇に直属した。このことは軍部の権力の独走を招き、破滅的な軍国主義政治に突入する。大東亜共栄の美名のもとに非人間的な侵略戦争に突入する。国民を天皇のため、国のためと駆り立て人の命を弾の代わりに使い捨てる。

天皇と国家神道をその精神的支柱として靖国神社がよりどころとしてきた。
侵攻する国々では略奪、殺戮、抑圧、恥辱をもって臨んだ。国内では国家思想に合わないものは抑圧と迫害、廃止と消滅、逮捕と拷問と死をもって報いた。宗教もキリスト教をはじめ、大本教、日蓮正宗などが迫害の対象となった。牧師をはじめ多くの宗教指導者は殉死した。

戦争は終わった。戦勝国は軍部と当時の指導者の責任を問うた。戦争という結果の問題でなく、無謀で悲惨な政治の稚拙さの責任である。孫子は「連戦全勝が最善ではない。戦わずして勝つことが最善である。」といった。負けることがわかっていれば最善の道を政治で求めるべきである。

日本の310万人と、アジアの諸国民600万ともいわれる人が犠牲になったという。広島原爆平和記念館、知覧の特攻隊平和記念館の中で、沖縄の平和の礎記念碑の前に立って日本人であれば嗚咽(おえつ)しない人がいるだろうか。戦争に負けた。国土は荒廃した。戦勝国アメリカはこの国に何をもたらしたのか。いろんな意見もあるが、新たな憲法で国を立て直すことを目指した。

食べるもの、着るもの、住まう家を失った国民に再建の手を差し伸べたのもアメリカである。アメリカの食糧援助がなかったら東京だけでも終戦の次の年に27万人が死んだといわれる。
新憲法では主権在民、基本的人権の確立、平和と不戦の誓いを立てた。天皇は人間宣言をされ、国家と平和の象徴として敬意の対象となられた。

靖国神社は明治維新の内乱、戊辰戦争などの明治維新の犠牲となった人々を記念する「東京招魂社」として設立された。1879年に靖国神社となる。靖国神社は政府、とくに陸海軍省の管理下におかれ、国家神道の象徴的な存在といえる。戦争のために殉じた人を祀る。昭和に入って軍閥政治になり精神的支柱であり「靖国で会おう」の合言葉に兵士は「天皇陛下、万歳」を叫んで死地に赴いた。

17歳ぐらいの幼年兵が帰る燃料のないゼロ戦で敵艦に突入した。戦艦大和の3300人の乗員も帰る燃料なく死地に赴いた。どんな理由であれ国を思って死地に赴く父や兄その人が顕彰されている施設を崇敬することは人の道でもある。一人の死をも無駄にしないためにも輝かしい21世紀とするためにも「靖国」を真剣に考えなければならない。

幕府の仏教中心主義から大政奉還で天皇主権による国家神道で廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)(仏教を否定して神道を重んじる)を進めた。ここでは伝統や文化としての仏教は無視されている。その流れの中で昭和の冷徹な軍国主義政治が悲惨な結果をもたらした。

今、改めて愛国心が議論されている。歴史と伝統、文化を大切にすることが強調される。民族、国家の歴史や文化に誇りを持つのは人の本性でもある。しかし、過去の失敗や未熟で悲惨な歴史の出来事は貴重な遺産として、明日への反省と飛躍の教訓とし「二度と過ちを冒さない」決意で現実を精査しなければならない。

幕藩の残滓を全く除去して、明治維新を確立したように、平成の平和と人権尊重の時代の証左としての過去現在未来に国家、公共のために殉じた人を顕彰する、すべての宗教宗派を超えた、すべての国民が共に記念できる新たな国家の施設を建立すべきである。

靖国神社は近代日本の歴史を拓いた人々の記念の顕彰、宗教法人として心をよせ崇敬する人々に開かれてあることがいいのではないだろうか。そこで初めて宗教の自由の視点から、代表的公職にある人も個人として参拝することが出来る。

世界に誇る日本は平和国家である。廃墟の中から60年、国民の勤勉と叡智が小国にして資源のない国、この日本が世界の経済・技術大国として平和国家として世界に貢献している。毎年、対外的な経済協力に約1兆円を拠出し、国連の運営費の20%(約800億円)を負担し、それは常任理事国、英・仏・中・露を合計するより多いのである。

米国と日本で45%の責任を持っている。だからこそ世界の平和と発展のために、アジア諸国、特に近隣中韓との友好を深めることが大切である。日本は現実の平和と未来の希望の光を世界に輝かす使命がある。

「平和をつくり出す人たちはさいわいである、
彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9)


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