「新しい感謝の日々」創立50周年記念

 詩篇136編1-26節 06・9・3
 「主に感謝せよ、主は恵みふかく、その慈しみはとこしえに絶えることがない。」(詩篇136編1節)

 1955年7月23日、この地に小さなキリストの教会が立てられた。五十周年記念誌の発行で新しい時代をスタートすることになった。阪神チャペルセンターは戦後、まもなく1952年に御影神愛教会の開拓伝道として始められた。岸部勘二郎師とR.ジョンストン師夫妻の協力によって始められた。

ジョンストン師夫妻は荒廃した日本に“キリストの愛を伝える宣教師の応援を”というD.マッカサーの呼びかけを神の召命として來日した。尼崎では天幕伝道から開拓が始まり、西難波公園の北の家で金曜夜の家庭集会が始まる。日曜日は御影の子供ホーム併設の神愛教会に礼拝に出席が続いた。

1954年西難波6丁目に一軒の家を借りて日曜礼拝が始まり中沢師を迎えて教会活動が整う。翌年の1955年祈りに答えられて現在地が与えられる。一坪3600円であった。早速、教会建設が始められた。決して十分な資金がるわけでなくセメントを購入してブロックをひとつずつくりみんなで積み上げて作られた。

労力は米軍兵士と他の宣教師のボランテアー、そしてその当時の少ないメンバーが夕方お勤めを終えて奉仕をした。建坪29坪、会堂12坪の可愛いチャペルが完成した。牧師館は会堂裏に6畳と2畳のささやかなものであった。会堂は敷地の中央にあって両側に70坪の庭があった。庭は、芝生が植えられ野菜が作られた。ぶどう棚には秋にもなるといっぱい実がぶら下がった。

献堂式には教区から多くの人が集まった。それから5年の後、中沢師は海外宣教に転出するために辞任され、廣瀬師が1960年着任し、教勢は徐々に成長し会堂の拡張が少しずつ続けられて拡張する。

やがてオリンピックの年にソウル中央純福音教会の崔子実先生との交流をきっかけに超庸基師との連携が始まり一千万救霊のための教会成長運動によってビジョンが与えられる。1978年現在のニューチャペルを献堂する。

献堂とともに福音放送テレビ番組のスタジオとして、関西クルセード事務局として全日本的な働きを展開に用いられる。このような恵みにみちあふれた50年を省みるとき、一年一年の歩みが神様の不思議なみ手の中で導かれている。

「主は恵みふかく、その慈しみはとこしえに絶えることがない。」「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さるのである。」(ローマ8:28)

思えば戦争の悲惨と破壊が、新たなる世界の出発になった。戦争の正当性や責任を議論する前に、戦争の愚かさを自覚して真実の平和と人間の幸せを学ばなければならない。戦争が終わり、平和と基本的人権を大切し、自由と平等、公平の社会を実現した。

キリストの十字架の原理は愛と赦しによる和解と平和である。どんな時にも聖書の教えが生かされるところに希望とよろこびが生まれる。1990年代より都市の激変時代を迎え、教会教育中心の時代に移行する。教会は新しい世紀を目指して約束の恵みの時代へと出発しようとしている。過ぎた日のあふれる恵みを感謝して、新しい宣教のビジョンを目指して前進しようではないか。


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