「神の愛と人の愛」     使徒行伝16章25-34節

「神を信じる者になったことを、全家族と共に心から喜んだ。」(使徒16:34)

 新しい内閣が出発して「美しい日本」と言うスローガンを掲げた。政治のスローガンとしては抽象的過ぎると言う批判がある。確かに世界を旅行して、日本の美しさを誰でもあらためて実感する。特に日本の山々のみどりの美しさ、秋の紅葉、春の桜は何も比べようがない美しさである。

 経済的生活水準、教育科学的水準、寿命の平均水準を見ても世界で群を抜いていると言える。人権の保障、個人の自由の権利は保障されている。しかし、自殺者や、犯罪の凶悪化の急増、離婚率、家庭内離婚の増加、いわゆるニートと言う意欲をなくした若者族の増加は深刻ではある。

 そこで、人間に問題があると言うことから「教育問題」が緊急の課題とされる。かっての高度経済成長時代にも教職員組合の左翼的政治の偏向でその危機が叫ばれた。「理想的人間像」が云われた時もあった。実際において、子供の教育環境はこれも世界的に高水準である。

今日では、さらに深刻なのは学級崩壊、学力の低下、自信を失った教師、ひいては子供の生活の躾が深刻となっている。その問題の根幹は「家庭」にある。家庭の教育力の低下である。そこで政治は「教育基本法」をいじって「愛国心や、郷土愛や、歴史文化に誇りを」と法律のスローガンを改正しようとする。

教育は基本的に人間の基本的自由が根本である。国家権力で個人の教育をコントロールすることがあってはならない。家庭の教育は、家族の問題であり、そこで人となり(成人)社会人となっていくことになる。人間の身体的、社会的適応の基本的性質教育、基礎的価値観の土台は幼児期から形成される。

今日の日本の深刻な問題は、家庭教育の欠如、価値観の喪失にある。戦前の「教育勅語」では儒教思想の忠孝が基盤としてあった。それは基本的に個人の人権の犠牲と隷属を強いることになった。そのようなものへ郷愁を抱くことを喧伝する向きもある。「武士道」の見直しによる「国家に品格」である。これもたしかに様式を見る限り一つの風格ではある。しかし、基本的には人命軽視、絶対服従などの根本的な人間性否定の価値観であることには間違いがない。

現在の「教育基本法」は学校教育、社会教育、宗教教育の大切さを謳っている。正に、家庭教育がない、それは宗教教育の必要性を意味する。現実の日本では信仰心はあるが、功利的な信仰心で生活の道具でしかないし、また、生活のフアションでしかない。

使徒行伝の16章には使徒パウロが不思議な獄中での出来事を通して伝道した看守の家族の救いの出来事が記録されている。看守は家族と共に神の言葉を聴きキリストを信じた。牢獄は地震で崩壊し囚人が逃走したと看守は思い、責任を取って自殺しようとしていた。

しかし、パウロの説得で囚人は留まっていた。そして、彼は自殺を未然に防いで救った。パウロの不思議な冷静さと思いやりに看守は感激し、キリストの言葉を受け入れることになった。彼の家族は恐怖から喜びに変えられた。真実の神、キリストの言葉は人に神の愛を教える。

その神の愛こそは人間の自由という権利を人と共に生きる愛によって真実の自由にし、家庭に心の絆、平安と健康、協調と充実をもたらす幸福の柱となったのである。人は、神によって与えられる真実の愛と自由によってのみ平和と幸せが約束されることを教えている。その原理は社会の原理であり、また、世界の平和の原理でもある。



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