「祝福の鍵としての一致」   コリントⅡ、13章11節―13節

 「兄弟たちよ。いつも喜んでいなさい。
  全き者となりなさい。互いに励まし合いなさい。
  思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。
  そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるであろう。」(コリントⅡ、13:11)

 新約聖書のパウロによる書簡は殆どが、いろいろな問題を抱えている教会への信仰指導の書簡であった。コリントの教会は、今のギリシャの北と南の陸海運の要衝にあって経済的に榮え、ギリシャ神話と東西の宗教的因習が入り混じる社会であった。、一方、知的な面においてギリシャ哲学の中心的な街であり、芸術やスポーツなども盛んであった。

 しかしキリストを信じる教会では、イエスの福音伝承を聞くだけで信仰的に具体的な生活の指針があやふやなため、世俗の因習や習慣に押し流される問題が起こった。そこでいろんな自己解釈が生まれ、派閥が生まれて分裂し、絶えず争いが生じていた。

実際にはみんな熱心で霊に燃えていたのであるが、偶像にささげた食物の問題、混乱する不健康な結婚問題、礼拝の混乱、信仰の根幹である復活の問題などがあり、使徒パウロを指導者と認めようとしない対立状態にまでなっていた。

使徒パウロはコリントの教会が真にキリストの教会として健全に成長するためにコリントへ書簡を書いた。コリント書簡は祈りと涙の書簡といわれている。ここで使徒が目指そうとするのは、第一に確かな福音信仰の基盤であり、第二に真実に霊的な活けるキリスト体験。第三に、健全な信仰の生活である。そこにこそ、真実な一致が生まれ、真実のキリスト教会が形成されるというのである。

 2007年、新しい年が始まった。祝福の年となるには真実なキリストにある一致こそが鍵である。主は祈られた「わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。…彼らが完全に一つになるためであります。」(ヨハネ17:22-23)

自分の祝福は、人々への祝福である。キリストの愛の連鎖が祝福の証である。福音は祝福として拡大し、人を変え、世を変え、世界を変える。キリストにある一致こそはリバイバルの鍵でもある。一致は、キリストの原点に帰ることに始まる。

「あなたがたは,はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを悟らないのか。」(コリントⅡ、13:5)

キリストを信じることは、信頼することであり、従うことである。「真理に逆らっては何をする力もなく、真理に従えば力がある。」(コリントⅡ、13:8)キリストの命を体験する一致こそは、祝福を結ぶ命である。

命のあるところに成長と充実がある。そこにこそ信仰による希望と喜びが生まれる。命は生活に伝達され拡大される。キリストの十字架で自己の罪に死にきる事によって、真実に新しい人、生まれ変わったキリスト者となる。

一人ひとりは違う。しかしキリストにあって一つにされる。キリストの愛が証しされ、キリストの喜びがみちあふれた教会が生まれることになる。
この一年、キリストの祝福に満たされ続け、その実を刈り取る年として進もうではないか。


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