「平和を実現する人たちの幸せ」   マタイによる福音書5章38-48節

 「平和を実現する人たちは幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)真実に神を信じることは、平和を愛する人である。平和を愛することは平和を実現する人でもある。キリストを信じる人は「平和な生活を送るようにと、神はあなたがたを召されたのです。」(コリントⅠ、7:15)

ここではっきりいえることは、クリスチャンは戦争のために召されていないということである。 キリストは山上の説教の中で、「復讐を禁じている」(マタイ5:38-42)。使徒パウロも「すべての人と平和に暮らし、…復讐はせず、…善を持って悪に勝て」(ロマ12:18-21)と教えている。それだけではなくマタイ5章43節から48節には「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と教えられている。

そしてキリストは、神の国の福音、即ち、誤れる人々の罪を指摘して、迫害を受け十字架にかけられながら、敵を赦して、祝福し、神の真実の愛を証しされた。キリストは「和解の福音」(コリントⅡ、5:19)をキリストを信じるわたしたちにゆだねられている。

 人類の歴史は、世界中何処でも闘争の歴史であり、今もそうである。強国の侵略と略奪はテロの復讐を生み、複雑な利害で戦争の恐怖が今も満ちている。1945年8月6日広島、9日長崎に原爆が投下された。21万の人が瞬時に命を奪われ、幾多の人が悲惨な傷と精神的苦難を受けた。どんな理由があってもこの戦争を正当化できるものではない。パールハーバーの奇襲では一日に4千人とも言われる兵士が無防備で死んだ。

サイパン、硫黄島、沖縄の悲しい戦争が重く心に残る。そして、シベリヤへの虜囚では6万の日本人が極寒の中で死んでいった。戦後、飢えと貧困、病魔と社会不安、都市は崩壊、家は焼かれ、働く職場を失う。荒廃した国土から65年、日本は世界に誇る経済産業大国になり、人権、安全、健康、福祉、教育において問題を抱えながらももっとも素晴らしい国の一つになった。それは、平和を愛し、戦争を放棄を決意したときに、その「繁栄」の鍵がある。

  日本国憲法の9条には「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と宣言している。

これは聖書の教えるところである。不思議なことに占領軍アメリカが無抵抗な日本に今の憲法を押し付けたといわれる。国際法的には占領下で押し付けられた憲法は無効とされるようである。しかし、いまや日本の国民の殆どが、この9条を改変するという人がいない。それは人類の祈りである戦争のない平和を求める決意だからである。

被爆された広島女学院の教授であった印具徹先生は、長らく関西被爆者協会の会長として活動された。白血病で死線を彷徨い九死に一生をえられたこの先生は、「戦争はどんな理由があってもしてはならない」を繰り返し語られている。一人の人を大切にする。人と共に生きる平和を求めなければならない。しかし、憎しみの自爆テロの恐怖が覆っている現実。

キリストにある平和の理想が、現実の世界の希望となり、解決となり、救いとなるように祈り、呼びかけ、働きかけなければならない。世界と家庭が平和でありますように。





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2007年8月12日の礼拝メッセージ