「クリスマスの光と平和」  ルカによる福音書2章1-21節

「見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」(イザヤ60:2)

 時は、約2007年前、イスラエルはベツレへム地方、野原で羊飼いたちが、夜も眠らず羊の番をしていた。漆黒の空には星が輝き、夜風が肌に沁みた。羊飼いたちは羊を襲うジャッカルや狼に気を配っていた。彼らは圧制と混乱が続く世の中に絶望感を覚え生活を思いながら焚き火を囲んでいた。すると突然、天が開けて輝きが大空に広がった。すると天から「今日、ダビデの町で、救い主がお生まれになった。

その方は飼い葉におられる。あなたがたはその方に出会うであろう。これがそのしるしである。」という声が響き、天空いっぱいにみ使いが現れ、神を賛美して叫んだ。「いと高きところでは栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と。羊飼いたちは、急いでベツレヘムへ行った。そしてマリヤとヨセフに見守られている飼い葉桶のイエス様に出会った。羊飼いたちは野原で見た天の異象、み使いのみ声と賛美を話した。彼らはすべてのことがみ使いの語ったとおりであったのを不思議に思い、神を崇め、賛美した。

 クリスマスになるとどこの町でも家々に光の飾りがともされる。街角にも、家にもツリーが飾られ無数の光の点滅で楽しむ。昔、ベツレヘムで羊飼いの見た天空に広がり輝く星は、今日では電気の明かりの点滅に変わってクリスマスを思い、み使いの賛美に代わってキャロルやゴスペルが歌われる。野宿をしながら世情の混乱と抑圧、不安と孤独、絶望に苦しむ羊飼い。科学が進歩し、便利で豊かだといわれる現代。

しかし、平均長寿年齢が78歳から86歳の時代になっても不安と孤独が心を蝕んでいる。腐敗と偽善の闇が社会を覆う。老人の年金を無計画に浪費し、その保全を怠り、混乱はきわまっている。福祉を食い物にする。公共投資の道路や国を守る防衛費の支出改竄(かいざん)、その借金漬けの帳尻合わせに弱者切捨て、障害者福祉、高齢者医療福祉の金をへつる。「闇は地を覆っている、暗黒が国々を包んでいる」という預言者イザヤの言葉が現代に迫っている。

 羊飼い達が生きていた二千年前にイスラエルはローマに支配され、理不尽な徴税と圧制に幾度となく反乱とテロが続いていた。憎しみと対立、不安と抗争が耐えない暗黒の社会でもあった。時が過ぎ、世が変わっても人の営みは闇に覆われている。人の心の闇は消えることがない。人の心の罪、即ち、闇に解決と救いの光が差し込んでこそ人々は希望をもつことが出来る。

「あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」という預言者イザヤの言葉の「主の輝き」「主の栄光」の現れこそイエス・キリストの御降誕である。「わたしを信じるものが、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世にきた。」(ヨハネ12:46)闇の中では何も見ることが出来ない。

不安と混乱、見えない絶望だけである。光は、現実をしっかりと知らせる。闇の実体はひとの「罪」である。罪とは心に潜む見えない自我の欲望と不安の奴隷としての惨めな迷いである。まことの光が照るときにその実体が浮き彫りになる。その惨めさを知って悔い改め、キリストによって表わされた神の愛と恵によって罪赦され、真実の人間性、神の子としての心を取り戻すことによって変えられる。キリストによって示された神の愛に生きるとき、真実の人生の目的と平和が与えられる。

クリスマスは神の愛と平和がやみの世界に輝くときである。それが世界の希望となる。クリスマスはこの喜びを賛美し、光を見て神の平和を実現する決意のときでもある。クリスマスを日々の生活に生きようではないか。





今週のみ言葉
 「わたしを信じるものが、だれも暗闇の中にとどまることのないように、
  わたしは光として世にきた。」(ヨハネ12:46)

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2007年12月23日の礼拝メッセージ