「平和の幸せと和合の喜び」 詩篇133章1-3節

「見よ、兄弟が和合しているのはいかに麗しく楽しいものであろうか。」(詩133:1)

 平和であることは幸せの基本である。聖書の国イスラエルではどんな時にも挨拶は“シャローム”である。シャロームは「平和」とも言われ「平安」「安らぎ」ともいう意味がある。その挨拶は‘いつも平和でありますように’という意味でもあり、平和に過ごしましょうでもある。そしてそれは‘主の平安がありますように’という意味でもある。“平和”とは社会や環境の平和である。“平安”は人の心の“安らぎ”を意味する。平和は、人と仲良くすることである。“平安”は心の内の調和である。幸せは平和と平安が基礎となる。

 詩篇には「兄弟が和合しているのは麗しく、楽しい」とある。これは都エルサレムにある神殿に詣でる巡礼の歌である。イスラエルでは大祭には村で巡礼団を組んで助け合いながらシオンの山(エルサレム)を目指した。昔の旅は盗賊や野獣の襲来の不安がいつもあった。人々は賛美を歌いながら祝福の山イスラエルを目指した。彼らは神を礼拝し祝福を受ける目的があった。それは神に出合うことでもあり、神の御國を目指し、永遠の御国を目指す旅でもあった。正に、それはクリスチャンの人生を象徴している。人生の旅は不安と試練の連続である。様々な打ち寄せるこの世の試みに打ち勝ち、人生を全うし、神の永遠のみ国にたどる道である。

 旅を無事に終える、人生の勝利のゴールにいたるには、様々な試練や闘いに力を合わせて協力し、助け合うことが必要である。それには一人ひとりの欲望や我欲を自制して協力する必要がある。詩篇は「かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り…ヘルモンにおく露のように…滴り落ちる。」(詩133:2,3)という。これは神の恵みとしての聖霊の注ぎを言っている。聖霊は神の子達に与えられるキリストの「命」であり「力」である。そして、神そのお方の臨在であり、その「思い」に満たされることを言っている。また、それは「神の愛」の臨在であり、「神の愛」に生かされることでもある。

 目標が、日々の中で聖霊によって確信となり、力となる。最終の勝利だけでなく、日々の歩みなの中で勝利を確信し、勝利を賛美し、信仰による勝利の告白を賛美としてささげる人生である。「愛には偽りがあってはなりません。…霊に燃えて、主に仕えなさい。希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。…あなたを迫害するもののために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人とともに泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢いものとうぬぼれてはなりません。誰に対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行なうように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。」(ロマ12:9-18)と使徒パウロは勧めている。真実の和合は爆発的な神の祝福、リバイバルとなって表わされる。

 聖霊による一致、それは、愛の一致である。キリストによって表わされた神の愛がすべての祝福と勝利の約束の鍵である。 




今週のみことば ロマ書 12章11節
「霊に燃え、主に仕えなさい」



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2008年1月20日の礼拝メッセージ