2月17日 礼拝メッセージ


「不可欠な愛の実践」  ヨハネによる福音書13章1−15節

 世相を表わす流行の言葉は時代の特徴を現している。最近では「品格」という言葉がついたエッセイ集が多く出版されて人気があるようである。「国家の品格」「女性の品格」「親の品格」などである。品格とは“もののよしあしの程度、しながら”という意味であり「品位」であって“人に備わっている人格的価値”などと説明されている。

こういわれると人に価値があったりなかったりするのかと心配になる。人それぞれは人として尊ばれなければならない。しかし、自分のうちから出てくる生き様は、その人の育ちや考え一人ひとりの“人となり”となって雰囲気を造ることになる。

 教会ではよく“クリスチャン品性”という。それはキリストの品性であり、キリストを通して表わされた神様の御性質をいっている。キリストに出会い、キリストを信じるクリスチャンは「信仰の導き手であり完成者であるイエス・キリストを仰ぎ見つつ。」(へブル12:2)人生の目標として歩むことになる。

「わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる豊かさになるまで成長するのです。」(エペソ4:13)「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭なるキリストに向かって成長していきます。」(エペソ4:15)そして聖書は「神に倣う者になりなさい。…愛によって歩みなさい。」(エペソ5:1,2)

キリストを信じ、学び、その教えの言葉を生活することによってキリストの品性がうちからにじむように形成されていく。それは自分で努力することでありながら、キリストの命としての聖霊、キリストの霊が心に内住されて日々の歩みの中にキリストの品性が実を結ぶことである。キリストの品性は聖霊の実である。

「わたしたちは皆、顔覆いを除かれて、鏡のように映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。」(コリントU3:18)だからこそ「クリスチャンは、聖霊の導きに従って生きるのなら、聖霊の導きに従ってまた前進しましょう。」(ガラテヤ5:25)聖霊に満たされることは、キリストの愛に満たされることであり、聖霊に生きることはキリストの愛に生きることである。

 キリストは最後の晩餐のときを迎えられたときに弟子たちを愛されていることを彼らの足を洗うということによって教えられ、模範を残された。人の足を洗うということは僕の仕事であった。おまけに師であり、主であるキリストが弟子の足を洗うことは、正に謙遜を表わし、仕えることを表わし、弟子達をこよなく愛しておられることの証明でもあった。

 神の愛の具体的な基本は「謙遜」にあった。「人に仕える神」としてのキリスト、愛する人のためにはどのような犠牲をもいとうことのない愛、そこから寛容、柔和、親切、誠実が生まれる。そして一致、平和、協力、共生が生まれることになる。

 「いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内に全うされているのです。」(ヨハネT4:12)

神の愛のあるところに神の臨在を経験することになる。絶えず、み言葉(聖書)に親しみ、祈り、「わたしたちの“内なる”人は、日々新たにされていかなければならない。」(コリントU4:16)そこにリバイバルの祝福が約束されている。
今週のみことば

  「愛に根ざして真理を語り、あらゆる面で、頭なるキリストに向かって成長していきます。」(エペソ4:15)




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