2008年4月6日 礼拝メッセージ

「変わらないキリストの言葉」    マルコによる福音書16章14−20節

 聖書は旧約聖書27巻、新約聖書39巻を合わせて66巻をいう。新約の約は「神様の約束」という意味であるが、英語では新旧に分かれるとOld,New Testamentという。そのテスタメントは「遺言」、「誓約」「証拠」などの意味がある。聖書は神様の約束であり、誓いの言葉でもある。特に、キリストが最後に残された言葉は遺言でありクリスチャンにとっては重い意味がある。

「全世界に出ていって、すべての造られたものに福音を宣伝えなさい。」(マルコ16:15)で始まるこの言葉に集約されている。その要点は三つに要約される。

その一つは「福音を伝えなさい」と言っている。これは約束と言うより、計り知れない罪深い人間にキリストの十字架による罪の贖いによって真実の人間性の回復を示し、死の克服と平安、人生の目的を与えられた「福音」をいっている。その福音を味わい、生きる目的を与えられたクリスチャンにとっての喜びが神の愛、即ち、キリストの福音を伝える喜びとなって「世界にその喜び、“福音”を伝える」ことになる。神の約束が、約束を広めることになる。

それだけでなくキリストの福音に生きる喜びを人生のどのような試練や困難にあっても喜びと勇気を持って福音を語り、伝える人として生きるように助けてくださるからこそ福音に生かされ、語り、伝えるようになると言える。その「助け」とは、「神は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。これは真理の霊である。」(ヨハネ14:16,17)又、「真理の霊が来るとき、その方がわたし(キリスト)について証しをなさるはずである。」(ヨハネ15:26)ともいわれている。「真理の霊」即ち、キリストの霊、「聖霊」が「助け主」「弁護者」として福音に生き、福音を伝える人にさせて下さると約束している。

そして、二つ目に、実際の生活には、愛にして、全能の神が生きて働かれることを、又、聖霊は実証されると約束する。悪霊を追い出し、病を癒す、悪の根源を断ち切って心と生活を健全にし、人生を改善して神の喜ばれる祝福の実を結ぶことを約束している。

三つ目に、「いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ18:20)との約束の言葉である。共にいるとは、約束の「言葉」が生きているということである。「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る、しかし主の言葉はとこしえに残る」(ペテロT、1:24)。神の言葉は変わらない、真理の言葉、活ける言葉である。その言葉は信じる人に現実的に人生の様々な問題を解決し、現実にキリストを経験させられる。

マタイによる福音書8章にローマの百人隊長が部下の僕が中風で苦しんでいるのを見かねて、キリストのところに行って癒して下さるようにと求めた。主イエスは、行ってあげようと言われたが、その百人隊長は「ただ、お言葉を下さい。そうすればなおります」と言った。主イエスは「あなたの信じたとおりになるように」と言われた。百人隊長が帰ってみると僕は癒されていた。神は「神の言葉」として今も信じる人と共に働いてくださるのである。

「弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった」(マルコ16:20)と聖書は記している。キリストの言葉は永遠に変わらない。

クリスチャンにとって生きることは、キリストと共に生きることであり、キリスト、その方を生きることである。クリスチャンは、また「キリスト者」と言う。


今週のみことば ペテロの手紙T、1章25節


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