4月13日 礼拝メッセージ

「真実が生む幸せ」  使徒言行録4章1−22節

 4月1日は嘘をついても赦されるという日、エイプリルフールという。その起源には諸説があるが、どんな嘘をついてもいいのでなく、正確には“害のない嘘をついてもよい、という風習”である。害のない嘘は“ユーモアー”である。一般に、“嘘は泥棒の始まり”といわれるように、諸悪の出発は嘘から始まるということになる。

今日の社会問題化している“振込み詐欺”“悪徳リフォーム”“霊感商法”等、枚挙に暇がない。よく考えてみるとそもそも嘘は損や苦しみから自分を守り、有利にしようとすることに始まり、欲望を満たすために嘘をつくことがある。そしてこの世の中では権力や経済力のあるものが真実を隠して人々を騙(だま)すことがよくある。

神の国があるか、ないか。これを真実として受け入れて信じるときに神の国は現実となり、死を超えて永遠の命、即ち、神の国に生きるということが希望となる。イエスキリストは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)と言われている。そして、その言葉通りに死んで三日目に復活された。弟子たちは復活されたキリストに出会う不思議な経験を通してその事実を確信する。そして、またキリストの神の国の希望が真実であることを確信するようになる。

その後、キリストを信じる喜びと平安、即ち、福音を伝え、語るたびに、キリストの出来事が事実でなく“嘘”であるという疑問と批判とにさらされる。使徒パウロは聖書の中で「あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。…そうであるならわたしの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。更に、わたしたちは神の偽証人とさえ見なされます。…わたしたちはすべての人の中で最も惨めな者です。」(コリントT、15:12−19)と言っています。

キリストの出来事を信じられないときには、それは“嘘”になる。キリストの事実を真実として受け入れるときに“神の国”の希望と平安を過去、現在、未来に生きることになる。

使徒言行録の3章に生まれながらの歩行困難な障害者がキリストの弟子のペテロとヨハネに祈ってもらって癒されると言う出来事が起こり、そのことによって多くの人々が神の驚異的な奇跡のみ業に感動して、活けるキリストの復活の福音を聞いてクリスチャンになった。反対派の指導者たちは、どのような資格でそのようなことをしたのか弟子たちに詰問した。

そこで、脅して二度とイエスのことを語るなと命令した。しかし、ペテロとヨハネは毅然として「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」(使徒4:19,20)と言っている。

時と共に事実は変わることもある。ある時代は、海は平面が事実であると信じられた。現在は、地球は丸いことが事実である。神の本質はキリストによって表わされ、その愛と聖と義、真実と善を持って「神は…偽ることはない。」(民23:19)のである。人は、偽らないでは人生を過ごせない悲しさを持っている。嘘を自覚して、嘘を悔い改めて人間性を取り戻し、赦されて和解する、そこに平安の回復と再生の希望が生まれる。キリストにある真実に生きることこそ幸せの鍵である。


今週のみ言葉  詩篇14篇




 ページのトップへ    2008年の礼拝メッセージ  他の年の礼拝メッセージへ      トップページへ