2008年5月4日 礼拝メッセージ

「心を一つにして」  使徒言行録1章6−15節

「わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、
 彼らが完全に一つになるためです。」(ヨハネ17:23)

 この言葉はイエスが別れの食事を済ませて祈られた最後の祈りである。イエスにあって弟子たちが「完全に一つになる」ようにと祈られている。イエスは今後のご自分が出会われる苦難の道、十字架への道を予見されていた。そのときに弟子たちは、十分イエスの教えの意味と十字架のかけられる出来事の真実の意味をおそらく理解できないために混乱と交わりの崩壊を予想されていた。

 実際に、イエスがゲッセマネで捕縛された「この時に、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」(マタイ26:56)と記録している。そして弟子のリーダー的なペテロは、最高法院の裁きの庭で「イエスを知らない」とイエスとの関係を否定している。既に、イエスは「弟子たちが、わたしにつまずく…ペテロは3回、わたしを知らないと言う」(マタイ26:31、34)と語っておられる。

このような思いの中でイエスは弟子たちが混乱し迷いと恐怖の中にあっても一つ思いになり、団結して使命に生き、使命を果たすことを祈られた。イエスはあらかじめ語られた通りに、死からの甦りを果たし、地上から別れる時まで幾度となく現われ、「能力(ちから)」が与えられるためにエルサレムで待ち望むように語られる。「なたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。」(使徒1:8)力は、聖霊の力であることになる。

 イエスが示されている「聖霊」は「真理の御霊」「助ける御霊」「教える御霊」「想起の御霊」「キリストを証言する御霊」「真理に導く御霊」(ヨハネ14:16、17、26,15:26、16:13)であると言っている。イエスの十字架の意味と復活の事実のメッセージを理解させる能力(ちから)である。それはイエスにある救いの喜びであり、聖霊の力は、又喜びの力である。イエスの使命の力でもあり、宣教への力である。

 弟子たちは、聖霊によってイエスの十字架の意味を理解した。神の愛のメッセージであり、救いと解放、永遠の命の確信となった。イエスの弟子たちは、再びキリストの愛と使命にあって一つとされた。イエスが祈られた「彼らが一つとなるように」と言う祈りが実現した。

弟子たちはまず、イエスのみ言葉を信じて集まり、祈った。(使徒1:14,15)そこで待った。少なくとも10日間待ち続けた。10日目に聖霊が下った。弟子たちは全く変えられた。イエスが明確に理解できた。そこに一致が生まれた。キリストの愛に生きる仲間となる。それがキリストの教会である。

 弟子たちは変えられた。迷いから確信へ。混乱から団結へ。迷走から一致へ。不安から平安へ。分裂から協調へ。反逆から献身へ変えられたのである。ハレルヤ!!!

 次週は「聖霊降臨記念日―ペンテコステ」である。
弟子たちにとってキリストの十字架と復活が罪の赦しと永遠の命の確証となった。その土台の上にキリストの教会が生まれた。キリストの教会の設立の日である。

真実なキリストの教会は、聖霊の臨在にあふれ、キリストの愛が生かされる交わりである。そこに、一致と使命を共有する喜びが、感謝と賛美を生む。愛に生き、愛を広げ、愛を伝える活きた宣教の教会である。それがキリストの教会の原点であると言える。そこに帰ることによっていつも教会は刷新し、成長すると約束されている。

今週のみ言葉  エフェソの信徒への手紙 4章3節



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