5月25日 礼拝メッセージ

「後ろを忘れ、前を目指す」  フィリッピの信徒への手紙3章12−16節

 「ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。」(ルカ17:32,33)

 長い人生の日々には色々な出来事がある。色々な出来事に出会うときに“どのようにするべきか”迷うことがよくある。そんな時にキリストの言われた「ロトの妻を思いだしなさい。」と言う言葉は一つの大きな道標(みちしるべ)になる。それはとりもなおさずキリストを信じるクリスチャンの基本的な生き方でもある。

 ロトの物語は(創世記19章)ソドムとゴモラの繁栄のさなかの出来事であった。ロトはアブラハムの甥であって家族として育てられていた。ロトも家族ができ世帯は別にしていたが共に生活していた。ある時、家族の僕(しもべ)たちの争いが起こり、分かれて生活することになって行くべきところをロトに優先的に選ばせた。ロトは低地に見える肥沃で繁栄している町のソドムの町を選んで住んだ。

しばらくして、み使いが訪れ、ロトにソドムとゴモラの町は余りにも退廃しているので滅亡すると告げられ、そこで家族、親族は町を出て逃げるように警告される。逃げるときには高い山に向かい、後ろを振り向いてはならないと示された。二人の娘と共にロトとその妻は訝(いぶか)り、迷いながらもみ使いの言葉に従う。突如として地殻変動が起こり、噴火と共に灼熱の噴火灰に覆われソドムとゴモラは消滅する。ロトの妻はソドムを振り返ると直ちに塩の柱になった。キリストはこの出来事を終末のときの審判の現実を理解して神のみ旨に生きる教訓を与えられている。

 この物語は第一に、続いてきた現実の反映と豊かさの腐敗への神の怒りを警告している。第二に、世俗に溺れながらも、神を信じるものに憐れみをかけられる神の恵みを示す。第三に、その破滅から救われるために、退廃から直ちに離れ、神の示される道に進むこと。第四に、それは築いた資産や家を捨てて、また、人々との別れを求められた。その犠牲をいとわず神の御心に従う決意を指示している。第五に、滅びの町を振り返ることは、この世の富や財産に縛られている姿を描いている。過去にとらわれることは、自らの存在が身動きの取れない、変わり果てた死せるものになることを教える出来事である。

 人間は、目先のことに振り回されるのが常である。色々な試練を予測したり、巻き込まれるときにも時として過去にとらわれ失望したり、絶望する。特に、多くの犠牲を強いられるときは明日の生活を心配する余り選択を誤る。ロトの物語は、神の御心を疑ってはならないと教えている。

「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、見えない事実を確信することです。」(へブル11:1)

「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上に召してくださる賞与を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フイリピ3:13、14)

ロトの妻のように過ぎし日々のことにこだわり、執着することは身動きの取れない破滅を教えている。この世に引き付けられ、とらわれることでなく、何が神の前に重要であり、全く善であるのかを問うことこそ、神に喜ばれ、受容されることであり、祝福の道である。「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら走り抜こうではないか」(ヘブライ12:2)勝利の人生を目指して。






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