7月13日 礼拝メッセージ

「最期の勝利者の喜び」 マタイによる福音書25章14−30節

プロ野球は今や国民的人気のスポーツである。7月は一週間6日というハードなゲームで甲子園では阪神戦が続く。5万人収容の球場が毎日満員である。今年は早々と2以位下のチームは自立優勝はなくなったという。阪神フアンなら熱狂するのも当然であろう。あらゆる面で実力ある選手をそろえていて優勝は確実と言われている巨人が出だしで低迷して後半に入って追い上げてきている。強い中日の落合野球が急速に落ち込んでいる。半年、150試合のペナントレースに勝利することは至難の道であるようである。今はプレーオフがあってリーグで優勝しても日本シリーズでは2位と3位が戦い、勝者が1位と戦って出場権を得ることになる。

昨年は、リーグで優勝した巨人が2位の中日に負けるということが起こった。正に、勝負の世界である。人の人生も、長いペナントレースのようであり、幸せを求めながら人生の区切りを戦い、選択して時代の流れを乗り越えて勝利者の人生を送ることになる。人には、平等な条件が与えられて人生を始めるものではない。キリストが教えられた「タラントの譬え」は人生を教え、その生き方の基本、目指す生きるゴールを教えている。

ある主人に3人の僕(しもべ)がいた。主人は遠く旅行に出るので留守中は3人に元手をわたして旅立つことにした。そこで、それぞれの力量に応じて元手を5タラント(ざっと百万円)、2人目には2タラント(ざっと20万円)そして3人目には1タラントを任すことにした。そこで、5タラントと2タラントを預けられた僕は工夫して商売をして元手を倍にした。しかし、1タラントを預けられた僕は、主人が厳格で厳しい人であるので、失敗をするとどのような仕打ちをされるか解らないので、元手を失うことを怖がって壷に入れて土に埋めて安全にしまっておいた。やがて主人が帰ってきた。元手を工夫と努力で倍にした僕たちに「忠実な者たち、よくやった、わたしと喜びを共にしてくれ。更に多くのものを管理させよう。」といっている。そして元手を壷にしまって何もしなかった僕には「怠け者、悪い僕、元手を差し出せ、それは忠実な僕に与えよう」という。

この譬えから学ぶ第一のことは、タラントは人の人生を表している。人生は神から預けられたものであり、神の御心によって生きることを目的にしていることである。人生の目的は神に喜ばれる人生であることである。「なにが神の御心であり、なにが良いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるように生きる」(ロマ12:2)ことが規範であり、人生の目的となるというのである。命も体も生活の全てが“神に喜ばれる”者となることを教えている。

第二に、怠け者と言われた僕は、神の思いを理解できず、信頼できないことから生まれる“恐れ”が“臆病”にさせ、“怠け者”にさせ、もてるものをも失うことになる。第三に、現実には人生には格差があり、試練は人夫々が出合うことになる。いかなる時にも父にして、創造主であり、愛なる神は人をきわみまで愛して助け、支えられる。だからこそ使徒パウロは「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれが私達に敵対できますか」(ロマ8:31)と言っている。主人を怖れる僕は、主人の真意を知らないでいたと言える。へブル人への手紙の記者は「主は愛するものを鍛え、子として受け入れる者を皆、鞭打たれるのである。あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。

神は、あなたを子として取り扱っておられます」(へブル12:6,7)と記している。また「キリストはさまよう羊であるあなたがたの魂の監督である」(ペテロT、2:25)と言う。勝利者は、監督を信頼し、日ごろの訓練を耐えて勝利を目指すことになる。厳しい訓練は実践に立ち向かう力をつける。どのような試練と困難ピンチがあっても最後に勝利するものに凱歌が上がる。神に喜ばれる勝利者となりたいものである。

「最後まで耐え忍ぶ者は救われる(勝利する)」(マタイ10:22)「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。・・・その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩1:2,3)
今週のみことば  ヤコブの手紙1章12節




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