8月3日 礼拝メッセージ

「こだわりと前進の岐路」  フィリピの信徒への手紙3章12−16節

「賢者は過去に学び、愚者は現在に学ぶ」と言うビスマルクの言葉がある。愚かな人は目先のことばかり考えて選択を誤ることを言っている。一方、歴史に学ぶことは様々な人間の経験を振り返り、現実と同じような多くの事例を過去の人々はどのようにしたかを学んで参考にして道を選ぶことこそ賢明であると言っている。確かに過去、即ち、経験は貴重であるし、経験を積み重ねて知識が集積され、新しい道の選択ができる。歴史に学ぶことは知恵ある選択を生むことになり大切である。

楽天の野村監督の野球は「データ野球」で知られている。野村監督は選手としても監督としても多くの最高記録を残している。その勝利の秘訣は過去のデータ、経験の詳細な記録を分析して試合に臨むことであるといわれている。

すべてのことが野球の勝利方程式には向いているとは言えないが、聖書は「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:13、14)と言っている。歴史に学ぶといっても大きな原則的なことに制約される。

もっと必要なことは知恵を貸して教え導く人がいることが大切である。昔からイスラエルに「人間にとって最大の幸福は良き師に出会うことである」と言う諺がある。経験と知識、知恵そして徳にあふれた指導者に出会うことは幸せである。「キリストがお与えになる召し」行くべき人の生きる道筋、目標を言っている。キリストはヨハネによる福音書14章6節で「わたしは道であり、真理であり、命である。」と言われた。キリストは命にいたる道、人を真実に幸せにする教え、即ち、真理の道である。キリストを信じることはキリストを信頼してキリストの言葉に生きることをいう。

言い換えれば、人生を導いて下さる方として従うことになる。キリストは人生の監督者であることになる。「あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです。」(ペトロT、2:25)

野球の世界でも、音楽の世界でも、美術の世界でも勝利と秀作の陰には優れた監督がいる。一つしかない人生を確実に充実したもの、即ち、目標を勝利に導く教師であり、監督であるキリストを迎えることこそ勝利の鍵となる。

キリストは「ロトの妻を思い出しなさい。」(ルカ17:37)と言われている。創世記19章に記録しているソドムの町滅亡の故事である。ソドムの町のあまりの退廃に神は滅亡を御使いによって予告される。神の民として選ばれているアブラハムの甥ロトは、叔父のとりなしの哀れみでことの重大さを知らされる。

そして命がけで山に向かって逃れ、後ろを振り向いてはならないと警告される。事が起こり地がどよめき天から火山の硫黄が降って来た。しかし、逃げながらもロトの妻は町が気になり一瞬振り向いた時、なぜか塩の柱に変わったのであった。「後ろを振り向くな」と言う神の言葉に逆らって振り向いた結果であった。

主イエスは、目指す道の目標を自覚して、神の御心に従うことを警告されている。正に、「後のものを忘れ、キリストが示される目標に向かって、前のものを目指して走れ」と使徒パウロは言う。後ろ、即ち、過去、過ぎたことに「とらわれる」ことなく魂の監督であり、指導者、教師であり、救い主イエス・キリストの言葉、神の言葉に従うところに解決と救いの道がある。

人生には色々な岐路がある。誰でもふと立ち止まり思案に暮れることがある。どんな時にも善にして愛なる神を見上げて進むときに平安と希望が約束されている。

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ8:28)


今週の御言葉 フィリピ3章14節




 ページのトップへ    2008年の礼拝メッセージ  他の年の礼拝メッセージへ      トップページへ