8月10日 礼拝メッセージ

「平和を造り出す人の幸せ」 ロマの信徒への手紙12章9−21節

63年前の太平洋戦争では日本の軍人、民間人約600万人、アジア一帯で約2000万人の命が犠牲になったと言われている。1945年8月6日広島、続いて9日に長崎に原子爆弾が投下された。一瞬にして21万人以上の人々の命を奪った。そして8月15日、日本は無条件降伏で終戦を迎えた。極東国際軍事裁判で戦争責任が問われ、「人道の罪」とは何かが議論された。

日本は戦争の悲惨の反省から「完全平和主義」に転換した。二度と戦争を起こす国とならないと言う宣言をする。それが国を形作(国体)る「平和憲法」である。また、天皇は「人間宣言」をされる。天皇は「平和の象徴」となられた。日本ははっきり、きっぱりと「戦争の放棄」を明確にし、いかなる戦闘のための軍備を持たないと宣言している。反省は懺悔(宣言)となり、回心として外部からの侵略以外は戦闘しないことを守って63年になる。

依然、隣国の韓国や中国では日本が戦争の反省も悔い改めもしていないと批判する。しかし、日本ほど世界で平和を実践し、平和を求めている国はない。その平和が廃墟の中から世界的な経済大国ともなり、高度な福祉や医療制度が生まれ、国民の平均寿命が男子79歳、女子86歳と言う驚異的な文化レベルである。それだけでなく全世界の国々の経済協力に、毎年約一兆円の支出を実践できる国になっている。

教科書の戦記の記述や靖国問題は問題を残しているが、殆どの国民は平和日本を願い、その流れは変わらない。
聖書は「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)といっている。平和を実現する。平和に生活する。平和に生きることは「幸せ」であると言う。

ロマ書の12章18節には「すべての人と平和に暮らしなさい。」と勧めている。平和は平安を生み、安心を生む。平和のあるところに繁栄があり、発展と希望がある。その反面、戦争は憎しみと破壊と混乱、悲惨と廃墟、傷跡、そこには絶望感と不安しか残さない。戦争には忍耐は要らない。平和には信頼と忍耐が要る。「神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。 このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。」(ロマ14:17)衣食は生活の基本的条件である。

人が人として生きることは衣食をものにすることでもある。神の国は人を人として甦らせ、生かす神の御心に生きることである。神の御心なる聖霊の命、神の愛に生かされるときに神の正義による平和とその喜びが満ちることになる。キリストを信じる信仰は希望に満ちあふれるものとしてキリストにある平安と喜びとなる。

「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」(ロマ15:13)真実の平和は神の愛から生まれる。キリストを信じるときに神の愛に目覚め、神の愛を生きることになる。神の愛に生きることは、人を愛することであり信愛し合うことである。信頼に結ばれて愛は実をむすび、一つになることができる。

一つになることは和合であり、平和である。愛は信頼の命である。 信頼の輪を広げることこそが平和をる繰り出すことになる。
次の文章は日本の国民の誓いである。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
(憲法前文)

この言葉が世界に生かされますように「平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン」(ロマ15:33)

(8月15日終戦記念日を前にして、“信仰の自由を守る日のメッセージ”)



今週のみ言葉   マタイによる福音書5章9節




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