8月17日 礼拝メッセージ

「永遠の命と心の安らぎ」ヨハネによる福音書14章1・6節

 人間は住居があって心安らぐ事が出来る。イエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしを信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある」(ヨハネ14:1)と言われている。

家に生む所がたくさんあるという表現は英語(KJ訳)ではメニーマンションとなっている。日本でマンションといえばビルの集合住宅を言う。英語の意味では大邸宅で広大な庭に多くの部屋のある館であるという。それでも足りないときは「あなた方の場所を用意する」といわれている。

マタイ11章28節では「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」と言われている。イエス様は「安らぎ」を与えるために、居場所を確保してくださるのである。マタイによる福音書の11章の28節は「全て労するもの」という訳になっている。それは例外なく、どんな人でもイエス様に来る人を「休ませる」と約束している。

 確かに、イエス様はその使命を達成するために弟子達と別れなければならないことを言っておられる。弟子達は動揺している。しかし、イエス様ははっきりと「神を信じ、わたしを信じなさい。」と言っておられる。さらに「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のみもとにいくことができない。」(14: 5)と言われている。イエスの道は人を生かす道であり、救いの道である。真理とはほかに代わる事ができない真実である。そして、それは人を真実に生かす命に至らせる。人を人として生かす命、永遠に変わることなく人を生かす命、永遠の命にいたる約束がある。

 第一に人には、どんな人にも人生の終わりがある。言うまでもなく「人間は死にいたる存在である」、死は、孤独と不安。消滅と絶望をもたらし人生を果てしなく無残なふちに追い込むことになる。しかし、イエス様は「わたしを信じるものは、死んでも生きる。」(ヨハネ11:25)と約束される。それは「心を騒がせるな…わたしはあなたがたに平安を与える。」(ヨハネ14 :26)という言葉に尽きる。

変らない神の国、永遠の命に生きる事を言う。クリスチャンは神の約束される永遠に変わらない神の国に生きる。それは死後の事ではなく、現時点、今を、イエス様を信じる信仰によって神の国を今に生きることを意味する。神の国の民は神の御心に生きる。それは愛と信仰,すなわち神にある希望に生きることを言う。今を永遠の国に生きる人は、死を恐れることなく、神の国を生きる人になる。
 
第二に、現在に活ける神の恵みを体験する人である。イエス様は「実に、神の国はあなた方の間にあるのだ。」(ルカ17:21)と言われた。神の国は将来の約束であると共に、今現在の中で神が共にいて働いてくださる事を約束している。イエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。」と言われている。使徒パウロは「神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(コリント1、 1 0 : 1 3)と言う。

 第三に、神の国の証しとしての聖霊とみ言葉をもって教え、助けられる。そして堅実に生きて働かれる神である。「聖霊は弁護者であり、いつも正しい導きを教え、イエス様の教えを適切に思い出させてくださる。」(ヨハネ14:25−27)真実の平安に生かしてくださる方である。

 キリストを信じる信仰は、神の国を今と、未来に生かす永遠の命である。変わらない平安、変わらない喜びを約束されている。

今週のみことば
「わたしは父にお願いしよう。父は別に弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。」(ヨハネ14:16)







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