8月31日 礼拝メッセージ

「心の解放と平安」  詩篇32編1−9節

 悲しいニュースは怒りのニュースでもある。
アフガンでペシャワール医療サービス(PMS)の事業に奉仕していた伊藤和也さん(31歳)が、タリバンに拉致されて殺害された。わたしは衝撃で身が硬直し涙があふれた。「人、友の為に命を捨てる。これよりも大いなる愛はない。」(ヨハネ15:13)の言葉がよぎった。

伊藤さんは農業を学び、PMSの主宰者中村哲医師に共鳴して献身する。赤貧のアフガニスタンの農村で麦や芋を植栽する技術を教え慕われていた。 中村医師はクリスチャンである。海外キリスト教医療協力会の医師としてアフガンのペシャワール(町の名前)・ミッションのハンセン氏病病棟で診療に従事していた。

やがて東部の農村に働きが進められていく。おりしもロシアとの戦争が襲う。イスラム社会のタリバンが国を平定してしばらく平穏が続いた。2000年から始まる深刻な干ばつに離村が進み、流民化する。飲む水がなく多くの死者がでるようになる。

中村医師は「医療以前に水」をスローガンに救済事業を展開する。20万人を救う事業となる。ときあたかも9・11テロ事件が起こり、米国が空爆を始める。干ばつ難民であふれる。膨大な餓死者が出ると予測されたとき1400トンの食糧配給をする。国連の制裁が出されて諸外国団体は引き上げた。

しかし、PMSミッションの1120人の人々が事業に参加し継続した。医療の前に生きるための水と食料を確保するために廃村になった荒地に再び、14キロに及ぶカレーズ(水路)を開削する陣頭に立って中村医師が進める。そして井戸を掘り、農業を基本から指導するために戦乱の危険な中で多くの青年が、中村医師の呼びかけに応答して日本からアフガンに渡った。

伊藤さんもその生涯をアフガンにささげた人であった。皮肉にもタリバンによる殺害と言う。愛する人々に、友人だと思ったアフガンの人々に殺された。中村医師は治安に対する注意が足りなかったと悔やみながら、しかし、愛の事業の継続を決断した。伊藤さんの死が、アフガンの平和と福祉として実るように祈りたい。

中村医師は「私は現地のイスラム教徒や共産主義者たちと,けっして神学論争をしなかった。良いことは誰にもよい。悪いことは誰にも悪いことである。ただ行為として現れる結果に、人々は信を置く。共通の神の発見は、共通の人の発見である。そして、その普遍性は無限に多様な外形を越えて厳在し、神聖な空白地帯として、存在の根底において万人をつなぐものである。…キリスト者として生きるとは、『当たり前の人』として生きようとすることにある。」と言っている。さらに「何を失うべきで、何を失うべきでないか、静かに自問する必要があろう。これがわれわれの使命(ミッション)である。」と問いかけている。

永遠に残るもの、「永遠の命」に生きることに尽きる。今を、神と共に生きる。神の愛に生きる。そこに試練と困難にあっても確信と平安がある。そこにミッション遂行の力がある。混乱と悲惨は人間の自己中心の欲望から来る。それを隠してごまかす限り悲劇しかない。

その罪深さを隠さず、告白し、悔い改めることこそキリストの十字架の福音である。破滅に希望をもたらすのは神の愛、赦しの福音のほかはない。ダビデはイスラエルの建国の父と言われる。しかし、貧しい羊飼いから最高の権威者、王となった時に一時の欲情に、部下の妻を奪い、虚偽の策謀で証拠隠蔽のために部下を殺害する。

十戒に戒められている人の道、1.人を殺すな、2.姦淫するな、3.偽証するな、4.人のものを盗むな、5.人のものをむさぼるな。この罪を預言者ナタンにあばかれてダビデは悔い改めた。権力者は自己の罪悪を隠して自己を正当化する。また、出来るのである。

ダビデは「幸なことか。心に欺きのない人は、罪を隠したときは、うめき苦しみ骨が朽ちるようであった。…罪を告白したとき罪と過ちを赦されまし
た。…主のみ名を賛美する。」と言っている。一人ひとりが生まれた赤子のように纏っている欲望と欲情、自己中心の罪の衣を脱ぎ捨てるとき、神の愛が包み人を輝かせるようになる。愛の絆が人を一つにし、平安と至福に至らせる。

今週のみことば

コロサイ3章14節
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛はすべてを完成させるきずなです。」







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