10月19日 礼拝メッセージ

「幸せな家庭と真実な家族」  マタイによる福音書12章46−50節


 生活の安定は人の幸せの基本である。今、世界的な金融不安が生活破壊を起こしている。特にアメリカでの社会変動は人々の生活を深刻にして、それが世界への影響となっている。日本でも高齢者の年金、医療や、福祉の財政削減が弱者を直撃している。しかし、社会が、豊かであろうとなかろうと「幸せな家庭」を得れば人は安らぎ、再起の機会に臨むことができる。幸せな家族は「真実な家族」で成り立つ。

この世の中がどんなに厳しくても、豊かでも「真実な家族」でなくては「幸せな家庭」はない。今日の社会は色々な不安あるといいながら、平和であり、衣食は溢れ、素晴らしい住まいはある。教育は充実し、最高の医療がある。それでも「不幸な家族」は後を絶たない。親殺し、子殺し、肉親の争いで家庭が崩壊するニュースは後を絶たない。また、可愛い子どもが事件に巻き込まれる。物質が豊かになり、科学が進歩しても人の心は悲しい荒廃の状態である。

 イエスは「真実な家族」について教えておられる。マタイによる福音書12章の終りに、イエスがお話されて人々が集まっているとき、ある人がイエスの母と兄弟が、所用があって待っていると告げに来た。イエスは「わたしの母とは誰のことか、わたしの兄弟とは誰のことか」と言われ、そして「天の父のみ心を行う人が,わたしの兄弟であり、姉妹、また母である。」と言われている。言い換えれば「神様を信じる信仰によって、神の子とされて人は家族となる。」ということである。家族のつながりは3つの点から考えられる。一般的に家族とは「血」のつながり、血縁関係という関係である。また、血縁関係がなくても法律関係で家族であることもある。更に、血縁がなく、法律関係がなくても心理的関係で家族であることである。それは心のつながりである。

 血縁があっても、法律的関係で家族であってもお互いの心が冷え切って、信頼は失われ、愛情がなくなっているところには真実の家族はない。そのような所では特に財産相続などの争いとなって現われる。慈しみ、譲り合い、いたわり、思いやる家族としての基本的な愛のつながりが失われているとき近親憎悪の悲惨があらわとなる。イエスは「真実の家族の幸せ」は何よりも一人ひとりの心が神様を「父」と呼べる関係にあって、神様の愛に生きる交わりにこそ「真実の家族」の絆があることを教えておられる。

 しかし、血縁の家族こそは現実の家族であることには代わりはない。イエスは最期の言葉の一つに十字架のもとにいたご自分の母マリヤに、傍にいる愛する弟子を見て「御覧なさいあなたの子です。」そしてその弟子に「見なさい。あなたの母です。」と言われている。最期まで母のことを思い、配慮されている。使徒パウロも「自分の親族、特に家族の世話をしない者がいれば、その者は信仰を捨てたことになり、信者でない人にも劣っています。」(テモテT、5:8)実際には血縁でも法律でも家族であることは互いに助け合う、愛の関係であるといえる。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。

これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:12−15)だから聖書は「神の家でどのように生活すべきかを知ってもらいたいのです。神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」(テモテT、3:15)と言う。実際の家庭でも神の家族として「真実に幸せな家庭」を求めていこうではないか。


今週のみ言葉

 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。(フイリピ4:6)





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