11月2日 礼拝メッセージ

「神の国の経済と祝福」  ルカによる福音書14章25−35節


 今日の世界的経済危機は多くの国々を直撃している。唯一、日本だけが円高でこの危機にありながら経済の安定感を示している。しかし、4月以降の統計では毎月1000件以上の倒産企業が出て損害は5兆円を超えると言われている。一方、多くの海外投資が為替差損で計り知れない損失となっている。大きな台風は悲劇的な被害をもたらす。今日では人工衛星の観測で台風の進路を正確に予想できる。

そのために被害を最小限に止める準備をする。100年に一回の金融危機といわれているが、はたして金融危機は予測できなかったのであろうか。現代では金融の諸取引のことを金融工学と言って高度な技術で利益を生み出す商売である。現代の「錬金術」とでも呼べるような魔力を持っているとしか言いようがない。

正に、マネーがマンモン(魔性)になって利殖を目指す。本来、お金は、人が生きるためにあるのであって、お金が人をとりこすることでない筈である。この危機の根本的な原因は「人が生きる」幸せに生きることを忘れていることに原因がある。お金に振り回され、お金に支配され、人間の持っている神様から与えられている愛する心、分かち合う思い、自分の人生を真実のするものは何かを見失っているところに悲劇が襲ってくることになる。

 金融危機のもとになっているといわれるアメリカでは多くの人々が試練の中にあって深く反省を始めているといわれている。教会に集い「神の国の経済」を学んでいるのである。

 ルカの福音書の17章には「本当の弟子」について教えている。イエス様は簡潔に言われる「自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:33)

人間は、所有欲の塊のようなものである。その人に所有しているものを捨てよと言う。これは持ち物に執着するなということであり、この言葉の前には26,27節で「親子兄弟家族だけでなく自分の命、自分自身を憎むことがなくてはキリストの弟子ではない。」と言われている。この「憎む」と言うことは憎悪ではなく、家族や自分や命、存在をも疎ましく思うことではなく、その最も人にとって愛するもの、大切なものを第一にし、また、土台としてはならないということである。そして「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」(ルカ14:27)と言う。

自分の十字架とは「捨てがたい大切なものをも犠牲にする」ことを求めている。言い換えれば「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」(ルカ10:27)ということである。人は自分で自分を生きていると思う。しかし、神に生かされていることを忘れている。

キリストを信じて創造主、父なる神を知るとき、神に生かされている私を知ることができ、愛されている私を発見する。自分自身も、人生も、家族やすべての者も神様にゆだねられ預けられている私であることに気付く。そこで「神に喜ばれる行き方」神の栄光を現す生活を生きることになる。神と共に歩む行き方こそはキリストの約束される祝福の生き方であるといえる。そこに神の国の生活は神の支援される経済の道であるといえる。

第一に信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。」(テモテT、6:6)「食べる物と着る物があれば、わたしたちはそれで満足すべきです。金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。」(テモテT、6:8−10)

人間基本の生活の条件を守ることが大切で、欲望に絡んで高利を省みずものをあせることの儚さを言う。キリストを第一に生きる。それが生活のガードとなる。祝福となる。



今週の聖書

「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」
(エフェソ5:20)




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