11月9日 礼拝メッセージ

「平和の福音と神の家族」 エフェソ2章11−22節


  「実に、キリストはわたしたちの平和であります。」(エフェソ2:14)「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。」(エフェソ4:2)

 アメリカでバラク・オバマが第49代の新しい大統領に当選した。アメリカの歴史的な経緯の中で白人の男性、プロテスタント(新教)、離婚暦のない人が大統領になるという考えがあった。

そもそもアメリカはプリグリム・ファザース(清教徒)が神の国を地上に建設するという理想で入植して国が始まったと。聖書の教えを基本にして国を作ることにあった。そして独立宣言をもって国が始まる。「すべての人間は平等につくられている。創造主によって、生存、自由そして幸福の追求を含む侵すべからざる権利を与えられている。」(独立宣言前文)

しかし、現実はその理想とはかけ離れた苦渋の出来事が続いているが、どのような挫折のなかでもこの理想を実現するという道筋をたどっているように見える。先住民との悲しい争い。労働力としてアフリカの奴隷制度、自由を国是にしながら険悪な偏見と差別が幾多の悲劇を生んだ。

J・ケネデイの時にカトリックの大統領が生まれ、時あたかも黒人の公民権運動が起こった。レーガンは離婚暦を超えて大統領になり、そして、女性としてヒラリー・クリントンが大統領候補を競い、50年前まで市民権(投票権)を認められなかったが、国民の圧倒的な支持で黒人バラクが大統領になったことはアメリカの社会では何を意味するのか。単なる政治的なことだけでなくアメリカの理想を目指す大きな出来事であると言える。1864年第16代リンカーンが奴隷解放宣言を出して凶弾に倒れて150年、呻きともいえるアメリカの理想の祈りが現された出来事でもある。

アメリカは政治、経済、軍事、教育、技術など巨大な国である。今も現実では罪深い偏見や差別と戦い、平和のための戦争という自己矛盾に苦しむ国でもある。アメリカの苦悩を地上の理想として、その実現を表したのが日本国「平和」憲法であるといえる。平和憲法はアメリカが日本に押し付けたものであると一般に言われている。
たとえそうであっても日本の国民の多くが平和憲法を誇りにしている。アメリカ独立宣言、フランスの人権宣言、そして日本の平和憲法に流れる「人間の自由と平等、幸福に生きる権利」は「キリストの平和の福音」に基づく理想の道である。

それはまた、「神の国がきますように。かみのみ心が地にも実現しますように。」という主イエスの教えられた祈りの実現でもある。「キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。」(エフェソ2:15−17)憎しみと偏見や差別は人々を分離し、対決さる。

確かにオバマ次期大統領が言うまでもなく、聖書は「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族です。」(エフェソ2:19)

キリストに生きる時キリストの理想、即ち「願い」を与えられる。その願いこそ平和であり平安であり、幸福である。それを実現する力がキリストの福音である。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(Tコリント1:18)


今週のみ言葉 エフェソ3章17節




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