11月30日 礼拝メッセージ

「主を待ち望む力と喜び」  イザヤ書9章1−6節


 NHKの水曜の夜に放映される“その時歴史は動いた”という番組は長い時代の節目の重要な出来事を再現して歴史を考えさせる良い番組である。平穏で変化が無い日常は平和である。しかし、歴史的に時代の変化の中で支配者が不安に陥り、進路を誤ると国は滅びる。国民の生活は危険にさらされ混乱と不安が渦巻くことになる。今、世界は金融恐慌の中にあって経済混乱に陥り世界中の国々の人々が不安に陥っている。今こそ国の指導者が毅然たる態度で先見の明をもって人々に安心を与えなくてはならない。日本の首相は緊急、緊急の対策をと言いながら言葉に一貫性が無く、軽薄な言質で人間不信を増幅させている。

 イザヤ書はメシヤ(救い主)預言が多くある特徴のある聖書の預言書である。紀元前8世紀を中心に活躍した。イザヤ書の9章1節から6節の言葉はキリストの降誕の預言として有名である。紀元前8世紀頃、イスラエルは南北朝に別れ北王国をイスラエル、首都をサマリヤにおいた。南王国はユダで、エルサレムが首都であった。当時、アッシリア(今のイラク)のティグラス・ピレセル3世が王で強大な国力で近隣諸国を征服していった。BC722年、北王国のサマリヤが陥落し、やがて南王国ユダに拡大してくる。エジプトの北上、バビロンの台頭の狭間で戦乱と支配の恐怖にさらされる。イザヤの指導の下でユダは滅亡をかろうじて逃れるが、イザヤはバビロンの捕囚を預言する。そしてBC582年ユダの滅亡が起こる。

 このような背景の中でイザヤの活動した南王国の指導者達の多くは自分の利益を求め、民を顧みず、圧政を行なった。外敵を恐れ、うろたえ神の人預言者の言葉に耳を傾けようとしなかった。イザヤは、民は試練と苦難に出会うであろう、しかし、その「闇の中を歩む民は、大いなる光を見る。死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」と慰めの預言を語った。イザヤは神の正義に生きることを語る。現実の迷いと不安から神の言葉に耳を貸さず混乱と不安に戸惑う人々に神の赦しと回復を語る預言者である。

民は捕らわれの身となる、辱めと屈従の中からやがて536年ペルシャのクロスによって解放されて帰還を果たす。この出来事は真実の平和、完成された平和としての救い主キリストの降誕を指し示すことになる。「地を踏み鳴らした兵士の靴、血にまみれた軍服はことごとく、火に投げ込まれ、焼き尽くされた。ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。

ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。」(イザヤ9:4−6)主を待ち望むアドベント(待降節)を迎える。如何に暗い闇の世、希望が消えたときにもキリストは世の光、『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』としておいで下さった。愛と正義、善と慰め、解決の知恵と力を与える希望としてクリスマスはある。主イエス・キリストは言われる「あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」(ヨハネ16:33)

イスラエルは再び紀元1世紀に悲しい亡国の民となり、神が約束の地、イスラエルから世界へ離散する。苦難と試練が20世にまで続く。1948年イスラエルは世界から軌跡の帰還を果たし、言葉を再生させ、約束の地にイスラエル共和国を樹立する。闇の中にも希望を失わず、神の約束を信じて待ち望むことが立証された。

「神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。」(民13:19)



今週のみ言葉 イザヤ書40章31節

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。
 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」




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