12月7日 礼拝メッセージ

「ゴスペル・良きおとずれを待つ」  ルカによる福音書2章1−21節


 クリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する日です。キリストとミサをあわせてクリスマスとなったのです。ミサとは今でも教会で行なわれる聖餐式のことです。聖餐式はキリストが最期を迎えられるときに弟子達と一緒に別れの晩餐をされて、パンを取り「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」、またぶどう酒を取って「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」(コリントT、11:24,15)と言われました。

キリストを信じる人々が、キリストのからだと血を表わすぶどう酒とパンをいただく度にキリストにあって生きる、生かされることを確信するのです。そして使徒パウロは「主がこられるときまで、主の死を告げ知らせるのです。」と言っています。聖餐式によってキリストの生涯とその死を思い出すのです。ヨハネの手紙T、4章9節、10節には「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。

わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」と書いています。キリストがこられたのは「わたしたちが生きるようになるため」、それはただ動物的に生きているだけでなく「人として生きる」ためである。人は自然に死に向かって生る空しい存在でなく、死を越えて永遠のいのち、神の国を今に生きる喜びを生きる人に変えられるようにキリストは私たちを造り替えてくださるのです。

クリスマスを祝うのは人間が、人間として生きる人生の目的を与えられ、真実の幸せの道をキリストが表わしてくださったことによります。ユダヤの原野で野宿をしていた羊飼いに天使は告げました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。…いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカ2:10,11、14)と。またヨハネは「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。」(ヨハネT、3:16)と言っています。

クリスマスはキリストによって与えられた「愛と平和」への救いの訪れです。暗闇の中で寒空の下で焚き火を炊きながら戦乱と圧政、搾取に苦しむ貧しい羊飼いは、まさに現代の人々を映し出しています。どんなときにもクリスマス、イエス・キリストがお出でくださるところに神の愛があり、その愛は人々の平和の希望となるのです。羊飼い達がキリストの誕生と平和のおとずれを聞いたように、今、クリスマスの意味をしっかりと理解して世界の平和と家庭の幸せを祈ろうではありませんか。

クリスマスは、神が愛をもって世界に真実の平和と幸せを実現してくださる喜びの訪れのとき、福音の訪れ、ゴスペルを分かち合う喜びのときであります。「言(キリスト)の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。…その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。」(ヨハネ4:4,5、9)




今週のみ言葉 ヨハネ3章16節

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を
得るためである。」




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