12月28日 礼拝メッセージ

「恵と感謝に溢れる日々」  詩篇136編1−26節


 「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。神の中の神に感謝せよ。慈しみはとこしえに。主の中の主に感謝せよ。慈しみはとこしえに」(詩136:1−3)

詩篇136編は「大ハレル詩篇」と呼ばれることで知られている.礼拝者全員の参加による信仰の告白の歌である。神様の天地創造の叡智と恵みをほめたたえ、人が生きる自然を整えてくださった恵、生かされている喜びを歌い、感謝する。そして神様に選ばれたイスラエルの喜び。イスラエルを通して神様の真意を表され、いかなる時にも神様を信頼するところに賛美と喜び感謝があることを告白している。

使徒パウロは不思議な神様の恵みについて「ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。『いったいだれが主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか。』すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。」(ロマ11:33−36)と言っている。

神様を信じることは、本来の人のあり方、神様に生かされているという現実を自覚させられるようになることである。そこから経験する一つ一つのことに、何一つとして無意味なものはなく喜びの時も、苦しみの時も、感謝の時も、嘆きの時も、楽しむ時も、悲嘆に出会う時も「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ロマ8:28)と言うことができる。キリストを信じる信仰によってマイナスの時は希望となり、プラスのときは感謝となる。感謝も希望も人を喜びに生かす力となる。

2008年も終わろうとしている。今年を表わす字は「変」が選ばれたという。世相はめまぐるしく変わった。年の初めに世界を震撼とさせている恐慌が始まることを予測しただろうか。その原因はあくなき利益追求のマネーゲームであったと言われている。ノアの箱舟のときに、破滅的な災害の到来をノアの家族以外の人々は真面目に聞こうとしなかった。神様のメッセージを聴いたノアはそれを信じて行動した。人々はノアの行為を「愚か」と言って無視した。その人々には混乱と破滅が待っていた。

 ニューヨーク大学の経済学者N.ルービニ教授は既に二年前から今日の危機を警告し、業界の専門家の間では知らない者はいなかったと言われている。利益追求の亡者となった人々には、ルービニ教授は「人騒がせな人」として相手にされなかった。証券化された実体を失った債権が、まことしやかに格付け会社によって3Aとされ、人々は強欲を剥き出しにして売買したという構図がある。

既に、2年前からあるブローカーは嘘を見越して債権の売り買いをし、2兆円にのぼる詐欺として告発された。強欲と偽善がうごめく中での出来事である。 正義と善意と思いやる人間愛が回復されてこそ世界に希望がもてるといえる。神は、人を神に似せて創造された。神の聖と愛に基づく、信頼と愛が回復されるところに、人は希望に生きることができる。人にとって神様の愛こそが生きる土台となり、力となるところに揺るぎない回復の希望が約束されていると言える。

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(Tコリント13:4−7)この言葉に解決の希望がある。「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(Tコリント13:13)

神を信じるものにはすべてのことが、合い働いて益となるのである。感謝。



今週のみ言葉 ピリピ 4章6節
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」




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