1月18日 礼拝メッセージ

「イノベート・刷新への希望と飛躍」 ロマの信徒への手紙12章1−2節


 人の生涯は一般に四季で表わされる。青春、働き盛りの壮年は夏、熟年の時代は秋、老年時代は冬である。有名な精神医学者P.トルニエの「人生の四季」という本に老人が83歳でキリストに出会い、今、神様の子供として生まれ変わった。すべてのものが新しくなった。初々しい青年のような新しい自分になったという感想の言葉がある。

人間の身体は日ごとに変化し衰える。成長期があり、成熟期があり、老衰期がある。確かに、人生は四季に見えるが、しかし、聖書は「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」(コリントU4:16)と言っている。「外なる人」、身体には変化がある。しかし、クリスチャンにとっては見えない「内なる人」、即ち、魂はキリストを信じ、受け入れている限り日々新たに生かされていることを約束している。

ともすれば人の生活は惰性に陥り、環境が変わっても適応できなくなったりする。本来、キリストを信じることはキリストの教えに生きる、キリストの言葉に生きることである。聖書は正典という。それは「ものさし」を意味し、生き方の尺度になる基準を表わしている。だから絶えず自分をその基準に照らして現実の自分を知ることになる。ロマ書12章では「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。

むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(2)と言う。「この世に倣う」の「この世」とは神を知らない世界、神を否定する世の中の生活をいう。何が神の御心か、何が神のみ教えか、それを神に受け入れられる基準こそが、神の喜びであり、まさに正しいことであり、善であることであって、それこそが「完全」であると言っている。

神を信じることは、神に愛されていることを知ることであり、そこで神を愛して生きる生活が始まる。神の喜びを希望に生きることになる。そこに神の恵みの原則がある。希望は未来の現実であり、今それを信じて実現できると確信することになる。「心を新たにする」心をいれかえる。それは、この世を基準に、この世を求め愛して生きることから方向転換を決意することであり、そこから「自分を変えていただく」キリストに助けられ、導かれ、自分を変えていただくことになる。

「イエスにある真理をそのまま学んだはずである。以前のような生き方をして情欲に惑わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」(エフェソ4:21−24)この事からキリストを信じる人は絶えず古い人から新しい人を目指すことになる。先ず、第一に、人は、目標に向かって変わりたい。新しくなりたい。変化したい。飛躍したと願う。「…に成りたい」と願う。そこに「革新」イノベートが生まれるのでなくクリスチャンは…である。」と言う揺るぎない教えを確信する所から革新があり、そこから成長と発展の鍵がある。「…である」があって「…になる」ということになる。

新しくなることは聖書に帰って、神の言葉に聞き、神の言葉に示され、神の言葉に教えられて、そこに反省が生まれ、未来への新しい目標と革新が現実となる。ペンテコステ(五旬節)はキリスト教会の原点であり、クリスチャンの信仰の原点である。そこに還り、立ってこそに真実の革新の道を見いだし、発展の祝福の実を確信することができる。「わたしを強めてくださる方(キリスト)のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリピ4:13)



今週のみ言葉

「わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの外なる人は衰えいくとしても、
 わたしたちの内なる人は日々新たにされています。」Uコリント4章16節




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