2月22日 礼拝メッセージ

「一致の生み出す祝福」   マルコによる福音書2章1−12節

 現在、世界中を不安に陥れている経済不況は様々な問題を孕んでいる。自由主義経済の仕組みは本来は需給のバランスで市場の自浄作用で時と共にみんなが納得する物価が安定すると考えられている。

しかし、現代の経済のグローバル化は、世界の貧富の格差がありながら、ものを取引するお金が商品化された虚構の信用で「一部の人たちの貪欲と無責任」(オバマ大統領の就任演説)が混乱を生み出したと言える。その虚構を放置して自由主義経済を野放した政治の付けでもある。日本でも今まで政官財の癒着、護送船団的経済界の仕組みなどが歪な自由主義資本経済社会であるといわれてきた。

規制緩和とグローバルな金融取引は創意工夫や伝統を無視した企業の商品化となり、人を打算的に使い捨てる世の中になっている。経済効率のよい都市集中に偏り、地方はいよいよ疲弊してきている。市場に任せる小さい政府は福祉を削減し、高齢者、障害者、病人へのしわ寄せとなって介護制度の崩壊、医療制度の崩壊を招いている。生活の文化的最低保証より、国民年金がはるかに少ないと言う歪な仕組みに成り下がっている現実となっている。

社会は国民の自立と共生のバランスによって希望と健全な社会が生まれる。その根底にあるのは人が愛し合って生きることにほかならない。どんな時にも人は自分に責任を持って共に思いやる時に、弱い立場の人も、自立して生きる人も人間として生かされることになる。そこにはお互いの理解と信頼と愛情がなくてならない。その人としての根幹を聖書は示している。

 マルコによる福音書の2章には歩行困難な中風の人が戸板に乗せて4人の人が担いで、人が集まって立錐の余地のない一軒の家に担ぎ込もうとするができず,思案の挙句屋根に上って屋根をはがして吊りおろしてイエスに癒しを乞う記事がある。イエスは彼らの熱心な願いに対して中風の人に「あなたの罪は赦される」と言われる。

当時のユダヤでは病気や障害や不幸は神の御心に従っていない生活、即ち、神の律法を守らない結果として理解するようであった。神との関係が断たれた結果であると理解した。しかし、イエスは4人の熱心なイエスへの信頼と解決の願いを見て、その願いこそは神様の赦し、関係の回復が前提であることから「罪の赦し」を宣言された。神様との正しい関係の回復ことこそは、人間が人間として生きる人間性を取り戻すことにあった。神への信頼は神の命と力に生かされることを表わし、そこに「癒し」が証しされる。

 第一に、神は信じ、求める人を先ず受け入れてくださることを教えている。第二に、神の恵みに入れられる時に、自己中心の罪を知らされ、イエス・キリストによって示された神の愛に生きるように変えられる。第三に、神の祝福の基礎は神の愛に生きることにあり、その愛の原則によって家族や社会が、4人の人々が一致して苦しむ中風の人を助けようとしたように、目標を明確にし、人を思いやり、労り、人が自立してその愛に報いる人と成る時、結果的に神の祝福として実を結ぶことになる。

神を信じることは神に信頼される人として生きることであり、神の信頼が人と人との誠実な信頼となる時にいかなる困難も必ず克服することができるとイエスは約束されている。信仰による一致こそは祝福を生む希望となり、力となり、支えとなり鍵となる。



今週のみ言葉

「一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて
 霊による一致を保つように努めなさい。」エフェソの信徒への手紙4章2−3節




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