4月26日 礼拝メッセージ
「ゴスペルの喜びと愛の伝播」 マルコによる福音書16章14−20節

 今日ではゴスペルは歌のジャンルの呼び方として広く世界に知られている。歌は歌い慣らされるとメロディーが一人歩きして歌詞にはお構いなしで「歌」を楽しむことになるようである。50年も前のことになるが、今でいえば演歌であるが近江俊郎という甘ったるい歌い方で魅了した歌手が歌った「湯の町エレジー」という歌があった。

中高校生にも人気があり皆がよく歌った。しかし、その歌詞のストーリーはもの悲しい大人の失恋の歌であり、おおよそ青少年の生活からはかけ離れた内容である。歌がかもし出す雰囲気は歌っている内容に関係なく曲を楽しむことになる。最近では年末には「一万人の第九」などで猫も杓子も誰でも「第九“合唱”」の演奏会に参加する。そもそもベートーベンの「合唱」は神を賛美する歌であって、神様を信じない人、クリスチャンでない人にはどうも不自然な歌詞の内容で、関係がないようである。ましてやドイツ語で歌っている。

ゴスペルは黒人霊歌から生まれ、最近ではそのスピリチュアルな情感から曲風のジャンルも広く理解されて今日のゴスペルブームがあると思われる。

ゴスペルは「キリストの福音」、即ち、キリストによる罪の赦しと永遠の命に生きる喜びである。福音は真実の神がキリストによってご自分を現し、十字架においてその真実の愛を実証されたことである。キリストを信じることは神様に愛されている自分の発見であり、神様のない空しさからの回復であり、神との交わりの回復、神に生かされている自分の発見でもある。福音を生きることはキリストにある喜びに生きることになる。ゴスペルのあるところには喜びがある。神との交わりの回復は人の生きる真実の道であり、生きる喜び、生かされる感謝、その感謝の喜びが叫びとなり「歌」となってゴスペルが生まれる。

ゴスペル、「福音の賛美」は神をたたえる歌であり、神の偉大さの賛美、その愛に生かされる感謝の祈り、信仰の告白であると言える、ハレルヤ。イエスは「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を伝えなさい。」(マルコ16:15)と言われている。福音を伝える、ゴスペルを伝えよといわれている。ゴスペルを歌うだけでなく、ゴスペルを伝えることが、キリストにある神の恵みに答えることになる。

イエス様を知らない人々がゴスペルを歌い楽しみながら、“神に愛されている自分”を発見してほしい。神に愛されている自分の発見は、「回心」することにある。回心とは神を知らなかった自分に気付き、真実の神を知らないこと、信じないことは、本来、人が、人としての人間性である神の心を失っていることである。それを聖書は“人間の罪”という。神のやさしさ、自己を犠牲にして愛される勇気と決断、聖にして妥協しない正義の方でありながら、罪を認め悔い改める人の心を思いいかなる犠牲をいとわないで解決される寛容な愛なる紙である。その福音が平和と安心の根拠となる。

ゴスペルのあるところに回復と平和、混乱と破壊にたいして回復と癒しの希望が約束される。それが、ゴスペルである。

「イエスは言われた。『全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。』」(マルコ16:15−18)



今週のみ言葉  テモテU、4章2節
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。
 忍耐強く、十分に教えるのです。」




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