1月3日 新年礼拝メッセージ

「新年を祝福する鍵」  詩篇1篇1−6節

 主の年、2010年を迎え、神様の祝福が豊かに実りますようにお祈りいたします。

昨年、前半は様々な偽装が社会問題となり、後半は世界の金融破綻で社会不安となり、年末には多くの人の失業が起こって切実な問題を投げかけている。新しい年には決して明るい予測は見えてこない現状でもある。人は試練や困難不安の中でその人の人柄や人間性がテストされることになる。試練や困難は一人ひとりの生き方から来る原因と社会の中から起こる問題がある。

今日本で起こっている社会問題は多くが道義的な腐敗から起こっている原因が多い。政治も官僚も経済界も不正と腐敗、社会が共に生きる愛と言う道義心をなくしていることによる。「慈善は国を高め、罪は民の恥となる。」(箴言14:34)と箴言は言う。「慈善」と言う言葉は口語訳では「正義」と訳されている。この聖書の言葉は“正義、助け、公平、権利、正直、救い”などの意が含まれている。人を助けることは正義に通じることであり、それこそが正直、まさに人の生きる基準であることになる。この言葉には「愛と正義」、まさに「慈善」が生かされるところに“繁栄”が約束される。その反面「罪」即ち、「正義」が失われるとき社会を混乱させ、破滅に至ると言う。

そこで詩篇の一篇では「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(2、3)と教えている。繁栄と祝福の原理が「主の教えを愛すること」「その教えを口ずさむこと」にある。主の教えを愛することはクリスチャンの生活指針である。

即ち「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:29−31)神を愛することは神の愛に生きることであり、キリストによって現された神の愛を生きることである。まさに神の愛に生きることは「隣人を愛する」ことに繋がる。この生活原理を「朝、昼、いつも変わることなく告白し、告白が生活」に生かされることになる。

モーセの時代、エジプトでのイスラエルの人々は搾取と差別、脅迫と不安にあって、人間としての尊厳も自由も無く、絶望的な社会事情であった。彼らのうめきと叫びは神に聴かれ、モーセを立てて不思議な業によってエジプトから解放された。しかし、約束地に向かって帰ろうとする彼らは強大なエジプト軍の追跡を受ける。紅海のほとりに追い詰められたイスラエルは解放もつかの間、抵抗による破滅か捕縛かと言う危機に追いやられる。そのとき神の前にモーセは祈った。

そして神の示される言葉に従って海に杖を差し伸べて祈ると海は割れ、逃れる道が開かれた。そしてイスラエルの民が徒渉を終えると追いかけるエジプト軍は海に沈んだという。この出来事こそは神の言葉に生きる指導者モーセによって「神の御心の可能性」、説明できない不合理に見える「信じられない」ような中にも、神の原理に生きるときに道が開ける希望を示している。神の「正義」と「愛」が生かされるところにこそ希望がある。繁栄と平和の回復の約束があることを信じようではないか。

現実に失望するのでなく、キリストの道を信じる希望に祝福の鍵のあることを確信しようではないか。アラジンの青年達も歌っている「陽はまた昇る」“頑張れ日本、凄いぞ日本、頭のいい国 日本、…頑張れ日本、凄いぞ日本、諦めないで日本、美しく 高く 飛べ 誇り取り戻すために戦え日本…このままじゃ 終わるわけが無い”。

共に心に留め様ではないか「 主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩1:2,3)の言葉を。


今週のみ言葉 ロマ書12章12節

「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」




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