2月14日 礼拝メッセージ

「なごやかな交わりを求めて」 詩篇133篇1−3節

「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(詩133:1)

詩篇の133編は家族の幸せな姿を描いた詩であると言われている。「兄弟が共に座っている」という情景は口語訳では「兄弟が和合して共におるのは」と訳されている。家族が共に座る情景は、一緒に食事をしていることを自然と思い浮かべるようである。ここで言う「兄弟」は両親、兄弟姉妹、祖父母を連想する。確かにダビデの時代の古代では家族というより「一族」が団結して自然の中で生活の糧を得、生活の安全を守る集団として生活する流れがあったようである。家族が「和合」して「交わる」生活こそ安全と幸せの基となっていた。

共に営む生活の共同体も一族から、部族へ、そしてダビデの時代には戦乱を通して国家の統一が果たされるようになる。そこで自然と今までのような家族の在り方が大きく変化する中で「麗しい家族の交わり」「家族の愛」の大切さを歌っている。どのような時代でもこの世が変化する中で「家庭」は人にとって安らぎと希望の意欲を生むところであることには変わりがない。日本の社会変化は家庭崩壊の時代とまで言われている。少子化、高齢化、老々介護、地方の限界集落の増加と家族の消滅が進んでいる。社会に家庭が失われていることになる。家庭を回復し、心を和ませ、安心を生み出す、心と心が結ばれる交わりの場が求められている。

人は、人と共に生きるときに人になる。人は交わりがあって人として生きることができる。揉みあげからあごにかけて襟元まで伸びる髭、中近東に今でも男の人の威厳と麗しさ、格調のシンボルとされる髭に頭の油が袖元まで流れる様子を理想的な「和合する」家族の風情として詩人は表現している。油は言うまでもなく聖霊を表し、神の臨在を象徴している。ヘルモンの万年雪が、露となって恵みをもたらすことを表している。神の臨在の象徴であるシオンの山にも愛なる神のめぐみがそそがれるように家族の「和合」は麗しく、あこがれの姿であり、いつも「家族」がそのようであれかしと歌っている。山の露も髭の油も神様の臨在と愛が、人を結ぶ時にこそ真実の「家族」の和合、平安、安らぎがあることを現わすのである。

第一に、移ろい行く世の中で、神の御心に生きる家族として神の教えに基づいて聖霊に導かれ、神の愛に生きるときに真実の和合が生まれることを約束している。それはイエス・キリストを信じる信仰によって神の愛を体験するところに現わされる。

第二に、家族の和合は「平安」を生み出す。安心のある家族には鋭気が生まれる。どのような時代にも守り、助け、育み、励ます交わりのあるところに希望と平安が生まれる。

第三に、信仰の家庭にはキリストの言葉に生きる土台があり、様々な問題が生じた時にも解決の鍵が与えられている。

第四に、なによりも信仰の家族はキリストの愛を実践する家族です。キリストの愛に生き、キリストの愛がいつも生き生きと息づき、神のめぐみと感動が響く、賛美の家族であるのです。どんな時にも慰めと思いやりの満ちた希望が息づく家、それがキリストの教会、神の家族の家なのです。「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」(テモテT、3,15)



今週のみ言葉  コリントT 12章27節




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