4月11日 礼拝メッセージ

「インマヌエル・活ける神が共に」 ルカによる福音書24章13−35節

イエス様は人々に「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25,26)に問われています。人間にとって生きることは死を避けることに他なりません。人は、先ず、生きることを求めます。そして、幸せに生きることを求め続けるのです。しかし、どんな人も死を迎えて人生を終えるのです。

「死」は冷酷にも例外なしに全ての人に訪れます。それは終わりの時であり、消滅と絶望であり、儚さとむなしさとなります。イエス様は言われます「わたしを信じる者は死んでも生きる」そして「決して死ぬことはない」と言われています。そして聖書は「イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(マタイ16:21)と記しています。しかし実際には弟子達は半信半疑であったのです。

イエス様は復活の事実を通してその言葉が真実であることを教えられる。イエス様は語られていたように十字架にかけられて後、3日目に復活されたのでした。先ず、2人の女の人が墓に行きましたが見当たらず、不思議な「イエスは生きておられる」という天使の声を聞くのです。他の人々も墓に行きましたが見当たりませんでした。イエス様の働きは結局、弾圧の中で十字架に処刑され、従っていた人々にも不安と恐怖が襲っていました。人々は失望と不安の中でそれぞれの出身地に離散して行きました。復活が信じられなかったのです。十字架に死なれたイエス様が分らなかったのです。

神様は愛なる方です。「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネT4:9,10)イエス様は復活の事実を伝えるために多くの人々に幾度となく現れて語り、導き、教えられたのです。(コリントT15:5−7)ルカによる福音書の24章にエマオの途上の二人の弟子の記事があります。イエスの教えや十字架や復活の出来事を語りながら話し合っていました。

そこへイエス様が近づいてきて一緒に行かれたのですが、彼らは目が遮られて分らなかったのです。そこで何を話しているのかを尋ねられた。彼らはエルサレムのイエス様の出来事と、自分たちがイエス様に望んでいたこと、「イエスは生きておられる」という噂などを話しました。そこでイエス様は旧約の聖書全体を通してイエスは預言されている救い主であり、人々に救いの道を与えるためであることを教えられたのです。二人の弟子はイエス様の言葉に感動しながらそのまま旅を続けようとされるイエス様にもっとお話を聞こうとして一緒に宿に泊まることを願い、食事をしている時、二人は、目が開けてイエス様と分るのでした。その時姿は見えなくなるのでした。

第一に、無理解と混乱、不安と迷いの中にいる人々へ、神は自ら進んで近寄り、共に、歩んで下さる姿があります。人生の死の謎を解くために、神様は自らを犠牲にして道を開かれるのです。インマヌエルとは「神はわたし達と共におられる」という意味です。どのように現実が変化しようとも神は生きていて共にいて下さる方であると約束しているのです。

第二に、神様の愛を現実に見ているが理解しえない人々へ、神の言葉を語った預言者の真実の意味を理解できるように導かれるイエス様の忍耐と熱情を見るのです。人々の心に感動を与え、導かれるのです。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)

第三に、復活されたイエス様は、死を超えて、見えない霊の存在として永遠の存在を確信させ、イエス様を信じることは今を永遠の命に生きるものとされ、有限の存在の死を超えて永遠に生きる希望を与えられるのです。そして、新しい未来の創造の時、永遠の命にふさわしい栄光の体に生きる永遠の平安を約束されるのです。

神は、いつでも、どこでも、共にいる活ける神、インマヌエルなる方であるのです。ハレルヤ。「これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(ロマ8:37−39)





今週のみ言葉 マタイによる福音書28章20節




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