5月16日 礼拝メッセージ

「喜びと感謝の天国への旅路」 マタイによる福音書16章21−28節

毎朝、新聞を読み終わると折り込みをぱらぱら見る習慣があります。興味のないものはそのまま見過ごしますが、旅の案内があるときには一通り目を通します。去年で後期高齢になりましたが思えば長い人生で楽しかったことの一つは旅行に行くことでした。伝道者として神様は全国をカバーするほど行かして下さり、ついでに由緒ある土地を訪れるのが楽しみでした。

また、教会の国際会議が3年に一回あったりして世界を旅する機会は30ヶ国を超えるようになりました。旅は楽しいものです。それでも是非行ってみたいというところはまだあります。その一つが津和野でした。先日、大学の同窓会が博多であって帰りに行ってきました。車は家内のドライバーです。家内は「もう他に行きたいところはないの、連れていてあげるから」と行ってくれました。わたしは「有り難う。それでは天国に行きたい。」と言いましたら、家内は「天国に行くには車はいりませんね。」と言いました。考えてみれば人生は天国への旅路であるのです。旅は楽しいものですが、家に帰ると落ち着きをしみじみ感じて、やっぱり家はいいなーということを感じるのです。目的のない旅行は淋しさと空しさが付き纏います。

天国は、即ち、神の国であってイエス様は「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と告げられています。人が生きる尊さを教えられているのです。マタイ福音書16章では「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得になろうか。」と言われています。人は幸せを求めて富を求めます。損得を計算して人生を送ります。しかし「自分の命を失ったら、何の得になるのか」と問うのです。

だれでも得するか、損するかを計算して生きるものです。イエス様がやがて無体な迫害と苦しみを受け、復活の出来事を通して命の道を示すことを語られた時、ペテロは「そんなことはあってはなりません。」と言いました。イエス様は「自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従いなさい。」と言われています。自分、即ち「自分の命」(:25)であるのです。自分の命は全世界よりも重いと言われているのです。その尊い命をしても買い取りえない尊いもの、「十字架」に従う命があるのです。自分の命を失ったら「どのような得があるのか」。十字架に従う時に自分の命が生かされるのです。神の国の命、永遠の命こそが真実の命として生きる、命の喜びと生かされている喜びを感謝できることになるのです。

どのような人生の中でもイエス様が示された神の国に生きる。神の命に生きることこそが尊く幸せであるのです。永遠の命、天国は死後の問題ではなく、今、現在、生きてキリストの十字架に示された罪の赦しと神の愛、その恵みを受け入れ、生きるところに神の国はすでにあるのです。イエス様は「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカ21:20,21)と言われている。神の国とはキリストと共に生きることであり、キリストと共に旅する人生は神の国、天国を今に生き、目指す旅であると言えます。イエス様は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)と約束されている。

「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。」(ヘブル12:1、2)

幕末、開国と共に外交関係から西洋人の教会が建てられた。まだ、キリシタン禁制の中で長崎県浦上のキリシタンたちは恐る恐る大浦のフランス寺と呼ばれていた会堂に来て信仰の告白を司祭にした。3000名以上の人々が諸藩に預けられ過酷な信仰の破棄を迫られる。島根の津和野藩にも慶応3年に28名、明治3年に125名が流される。乙女峠の廃寺光淋寺に幽閉され三尺牢や、氷の池に沈める過酷な迫害がなされる。この旅で3人の赤ちゃんが生まれている。156人であり46人が15歳以下である。

苦難に耐えられず改宗した人もあった。しかし、受難の人々の飢えをたすけたと言われている。34人が殉教した。この人たちの記録が残されている。その一つに、5歳のモリちゃん実話がある。大人は家牢に閉じ込められ、親子とも食べるものがなくいつも飢えていた。子供は庭に出て遊べるようにしていた。守衛の役人がモリちゃんを呼び出してお菓子を見せ「キリシタンを止めればこれを上げる」と言った。母親は心配でたまらない。わが子を格子越しに見て、帰ってきたモリちゃんに聞いた。

「おじさんに何と言いなさった」「キリシタンをやめるとお菓子をあげると言いなさった」「それで何と言った」「キリシタンはやめませんと」「どうしてそう言ったの」「お菓子をもらえばパライソ(天国)へは行かれぬ。パライソに行けばお菓子でもなんでもあります」モリちゃんはやがて飢餓死の殉教をした。永遠の命、天国信仰の尊さと共に、現代に生きることを深く考え、キリストの十字架の道を偲んで神の栄光を表そうではありませんか。


今週のみ言葉 

ヨハネの黙示録2章10節
「死に至るまで忠実であれ・・・・・・冠を授けよう」




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