6月27日 礼拝メッセージ

「感謝に満ち溢れる日々」 ルカによる福音書17章11−19節

参議院の選挙が始まった。争点は消費税10%に絞られているように感じられる。福祉や教育、医療を充実するには財源が必要となる。みんなが共により良い暮らしをするには、みんなでそれなりの負担をして幸せを分かち合うことが求められる。ある意味で感謝の気持の分かち合いと言えないだろうか。しかし、政治の世界では財源があっても一部の利権や目先の利害に翻ろうされては国が栄えても、民の暮らしは楽にならない。日本の高速道路は美しく、SAは日本庭園のように美しく、手洗いはホテルのように綺麗である。狭い国の都道府県に飛びもしない飛行場を作っている。あげればどうも腑に落ちない金の使い方が多すぎる。一方では、保育所がなくて困っている人々がいる。学校教育より塾の経費がかさむ矛盾。子育てに励む30代の人々の経済的困難。北欧の福音的キリスト教国では幼稚園から大学まで無料である。医療も無料。子ども手当は当たり前。高齢者福祉の充実、老後の生活不安を誰も感じないと言われる。しかし、国民の負担は驚くほど高い。そこに国民の選択のあり方が民度として政治に現れると言える。人は愛しあい、助け合う、共に生きる幸せを感謝して社会のため生きることになる。「感謝」こそは、人が互いに生きる希望を生み出す証しとなる。
人は「愛によって生きる」のである。愛し愛される喜び、そこには「感謝」が生まれる。感謝があるところに人の心が通じることになる。感謝は喜びでもある。
欧米を旅行すると、日本人が戸惑うことがある。それは「チップ」(謝金)である。レストランやタクシーでも10%ぐらいの「チップ」をあげる。ある意味でそれは習慣化されているようであるが、知人の家に泊まっても「枕銭」は出すようにする。また、後で必ず返礼を送る。これが習慣のようである。欧米から客を迎えても、そのホスピタリティー(親切なもてなし)に必ず返礼をするのである。「感謝」をするこのことの意味が判ってから今では気持よく旅をすることが出来る。「愛」と「感謝」が命として人々の交わりを固くする社会が生まれることが願われる。
ルカの福音書の17章に「重い皮膚病を患っている10人」の人の出来事が記されている。イエスがエルサレムに行く途中でサマリヤとガリラヤの境にある村を通られた。「重い皮膚病」というのは、以前はらい病と言われたハンセン氏病である。今でこそ差別の悲しい時代が過ぎた事にはなっているが、偏見は時としてあらわれ言葉に表せない悲しみを覚える。ましてや、聖書の古い時代で罹患すると排斥され、交流が禁止された。ガリラヤとサマリヤは同じユダヤ人でありながら昔からいろいろなことから信仰や血縁問題などから差別され、見下げられ憎しみ合っていた。「重い皮膚病」を罹っていた人たちは村から追い出され、国境の人里離れたところにお互いの場所からやってきて住んでいた。病気のゆえに差別され憎しまれ、追放された同じ苦しみで「重い皮膚病」の人々は、お互いの憎しみと偏見を超えて、共通した痛みと、人生の不遇の中に一つになれることができたのであろう。そのころイエス様がちょうどその村を通り過ぎられることになった。かねてよりイエス様の神の国の教えと様々な恵に満ち溢れた奇跡や出来ごとのうわさが伝わっていた。彼らは、自分たちで近づくことが許されていないので遠いところから声を合わせて助けを求めて叫んだ。イエス様は一言「祭司たちのところに行って見せなさい」と言われた。祭司はエルサレムにしかいない。遠いエルサレムに行かなければならない。当時は、「重い皮膚病」の完全な治癒は社会復帰を意味し祭司が癒しを判定することになっていた。痛ましい身を引きずるようにして出かけた。途中でいつともなく身が軽く、爽快となり、癒されている自分に気付いた。10人の喜びようは感動と喜びに包まれた。その1人がすぐさまこの感動を賛美をしながらイエス様のところに帰ってきて、「感謝」した。そしてイエス様は「癒されたのは10人ではなかったのか、他の人はどうしたのか、」と言われた。
帰っていた一人は、サマリヤ人であった。ユダヤ人がいやしい人間として軽蔑し、差別し、罪人と言われ、滅びの者たちとされているサマリヤ人だけが帰って来た。イエス様は言われた「あなたの信仰があなたを救った」。この帰って来たサマリヤ人は救われがたいものとされていながら、イエス様に出会って神に愛されている自分を知った。イエスの言葉を信じて実行すると「癒し」を体験した。神は、どのような人をも愛し、救う方であることを身をもって体験した。「信仰」が、神様の恵みを体験させ、神様の偉大さとその愛を知ったのである。彼は、叫んだ、神様をほめたたえ賛美した。そして「感謝」にあふれた。
信仰は「感謝」を生み出す。それは神様の恵と愛が日々の生活に溢れていることを真実に自覚させるからである。キリストを信じる信仰は感謝の溢れる日々を約束している。



今週のみ言葉 ガラテヤ6章2節




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