7月4日 礼拝メッセージ

「魅力的確信に生きる信仰」ルカによる福音書8章40−48節

人間は誰でも魅力的なものにひかれるものです。魅力とは“人の心を引き付ける力”という意味です。心を支配される、虜にされるという意味でもあります。魅力には娯楽であったり、仕事であったり、事業であったり、対象があるものです。「魅力的確信」は心のあり方を言っています。「確信」は“信じて疑わないこと”です。キリストを信じる「確信」が、「安心」を生み出し、“安心”は、“落ち着き”を生み、“落ち着き”は冷静となり、冷静はゆとりとなり、現実を見通す力になります。その冷静に裏付けられた確信は“力”即ち勇気として“希望”を生むことになります。
ルカによる福音書8章40−48節には二つの奇跡の出来事がセットで記録されています。一つはヤイロと言う会堂長の12歳になる娘が瀕死重症になりイエス様に来ていただいて助けてもらおうと願い出る出来事です。もう一つは、イエス様が行こうとされる途中で重い婦人病の癒しを求める女の出来事です。この女の人の出来事を学ぶことにしましょう。12年間の長い間、出血の伴う重い婦人病を患い、なんとか治りたいと全財産を使い果たすほどいろいろな医者に診てもらいました。しかし、一向に良くならず、苦しんでいました。おそらくかねてより、貧しい人を助け、病の人を癒し、難病を癒す奇跡を行い、神様の愛と神の国を説かれていたイエス様のことを耳にしていたと思われます。この方こそキリスト(救い主)であるという噂を聞いていたのです。イエス様が、近くに来られることを聞いて、なにがなんでもおそばによって癒していただこうと思ったのです。イエス様が行かれる所、いつも人だかりでいっぱいでした。ユダヤでは律法の教えから来る因習として婦人病などの血漏は不浄として人前に出ることを憚りました。女の人は気遣いながら、人々の間を抜けながらちょっとでもイエス様に触れれば何とかなるかもしれないという願いを持って、イエス様に触ったのです。すると不思議に今まで不快であった気分が爽快になり気持ちの悪い血漏が止まったのです。突然、イエス様が「私に触れたのは誰か」と言われたのです。廻りの人は自分ではないと言い、弟子のペテロは、「先生、こんなに人が取り巻き、押し合っているのです。分るわけがありません。」と言いました。しかし、イエス様は「誰かが私を確かに触った。私から力が出て行くのを感じた・」と言われると、もう女の人は、隠しきれずに、恐る恐る震えながら出て、触った理由を語ったのでした。そこで主は「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」言われたのでした。
先ず、第一に、女の人は癒されていながら、イエス様が「誰が触ったか」と言った時、出ていくことを恐れて、ためらった。それは、自分が血漏で穢れているという気持ちから、人前に出ることを恐れていたと言うことにあります。言いかえれば、罪悪感を持って恐れていたのです。しかし、イエス様は、怒るためでなく、自分から神様にある力が出て行くのを感じ、神の恵みの確かさを求められたと言えます。人は苦しんでいる時、誰にも分らずそっと神様に助けを求めようとします。この女の人は、その時、神の前に出られる状態でなかった。赦されない因習であった。その願いを聞き入れて癒された。そして、その女の人が、苦しみの中から癒しを与えられたことを、イエス様の前に「告白」したのです。そして、イエス様は「あなたの信仰があなたを救った。」と言われたのです。女の人は自分の行為を怒られると恐れていたのですが、あなたの「確信」があなたを救ったという言葉を聞いた時、神様の愛に打たれたのです。彼女は「罪」を自覚して、逃げようとする人を、呼びかけ、受け入れ、赦しておられることを知ったと言えます。罪が赦されることによって、奇跡の癒しが神様の愛の業であることが語られていることが判るのです。
第二に、イエス様への「確信」は、神様の愛の赦しを生み、和解を生みます。神様との交わりを経験するのです。神の力、不可能を可能にする命の経験であるのです。「あなたの信仰が救う」ことは自分の力ではなく神様の恵みがなければ生きることのできない無力の自分です。人が生きるのでなく、生かして下さる神様が共に生きてその力といのちを経験させて下さることを言うのです。
第三に、この信仰による「確信」は「安心」を与えられることになります。イエス様は「安心して行きなさい」と女の人に言われています。それは正に信仰の醍醐味なのです。何ものにも奪われない平安、私たちが現実の生活ではどこでも得られない平安であるのです。イエス様は言われます。「 わたしは、平和(平安)をあなたがたに残し、わたしの平和(平安)を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。」(ヨハネ14:27) いかなる時にも、イエス様は、信仰を呼びさまし、心の中に確信を与え、現実を克服してくださる方です。感謝




今週のみ言葉 
エフエソ 1章19節
「わたしたち信行者に・・・・・・・大きなものであるか」




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