7月11日 礼拝メッセージ

「キリストに生きる幸せな安らぎ」詩編32篇1−2節

「安らぎ」は人の生きる基本的な要件であると言えます。「安らぎ」は自由な環境、自然的な環境に恵まれ、健康であり、精神的、経済的安定がもたらされると考えられます。しかし、現実には、家庭の中で、職場で、取引の間で追いつめられることが起こるものです。生きることは戦いであると言えます。その中で絶望が人を陥れ、死に至ることになります。1998年の自殺者数は32863人となりました。前年‘97は24391人でした。8472人の急増を示しています。そして2004年のピークには34427人となりました。その後減少したとはいえ‘21年でも32845人と十年以上3万人を超えています。それは継続的な経済破綻によると思われていますが、実際の昨年の原因の統計では健康問題47%、経済生活25%、家庭問題12%、雇用問題7%、その他、男女問題や学校問題と続きます。世界で最も国民医療保険制度が整い、文化生活の最低が保障されている日本の現状です。健康問題が自殺原因比率の1番です。このようにみると一概には言えませんが、多くの場合精神的に「希望」を失っているのです。心を閉ざし、外部との交流を遮断してしまって鬱状態に落ちることになります。生きることに絶望しているのです。
自然の動物で生きることに悩んで自殺するのは人間だけです。人間には生きる自由と死ぬ自由もあります。
自由こそが人の人である証しであると言えます。いろいろな問題で自由がなくなる時に人は死を選ぶのです。それが絶望ということになります。キエルケゴールは「絶望とは死に至る病」という有名な言葉を残しています。イエス・キリストは「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25,26)と言われています。そして使徒パウロは「彼は希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて信じた。」(ロマ4:18)「希望はわたしたちを欺くことがありません」(希望は絶望で終わらない。口語)(ロマ5:5)と言うのです。神の御子キリストに望みを置く、即ちキリストを信じる信仰のあるところには、どんな時にも生きる希望が与えられることを約束しています。
旧約聖書の詩篇32篇はダビデ王の歌として伝えられています。「いかに幸いなことでしょう。」で始まる詩であり、「幸せ」であることの喜びを歌っています。 ダビデ王が全盛を極めた時、全軍はアンモン人を攻略していた。ダビデは王宮に留まっていた。その時、一人の女性バテシバの行水の情景を見て恋慕し、王の命令で関係を持ち、子供が出来る。その夫はウリヤという兵士で戦地にいることが分り、関係を画策するために召還を命じて帰宅するように言う。忠実なウリヤは実戦中であるので王宮に留まり、出陣の命を受けるために待機する。ダビデは、一案を考え、ウリヤの前戦司令官ヨアブに、ウリヤを最前線で戦わせ、戦死をもくろみ彼を死に至らしめ、まんまとバテシバを王宮に迎える。彼女は子供を産んだ。ダビデは、先ず、人の妻をとった。(人の道の戒め第6、3)彼は事実を隠してウリヤを陥れた。(第5の戒め)罪を隠蔽するために殺人を犯した。(殺人禁止の戒め。第2)十戒の人に関する戒めを全部犯す結果になった。これは神様の前にしてはならないことでした。神様は、預言者ナタンを遣わし、詳細を告発して罪を悔い改めるように勧告しました。ダビデは震えおののき、罪深さを自覚して心から悔い改めたのです。ダビデは「わたしは黙し続けて絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜もわたしの上に重くわたしの力は夏の日照りにあって衰え果てました。」(詩32:3、4)と言っている。隠している罪の中で苦しみながら欲情の奴隷になっている惨めな自分に深い反省をしているのです。
そこで、真実の平安は第一に、「幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。」(32:1)と告白しているように罪赦るされることによって心の平安が回復することを教えています。神に背くことによって全ての罪の根源が示されています。罪とは人と社会からの断絶を意味します。その根源は、神を信じないことにあるのです。和解こそ、平和の基礎であるのです。神を信じ、神の教えに生きる時に自分の罪悪の根源が判り、初めて回心に導かれ、神様を土台にする交わりが始まるのです。。第二に、その交わりは、人と人とを結ぶ帯として、信仰の可能性を生み出すのです。「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:19,20)キリストと共に父なる神様の恵みを分かち合い、希望に生きる人に変えられるのです。第三に、現実の中で神との交わりは、生ける方として聖霊を遣わし、現実の生活の全てを解決し、満たし、導かれるのです。「愛する者よ、あなたの魂が恵まれているように、あなたがすべての面で恵まれ、健康であるようにと祈っています。」(ヨハネV、2)「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう。主に咎を数えられず、心に欺きのない人は。」(詩32:1,2)




今週のみ言葉 
コリントU、5章17節




 ページのトップへ    2010年の礼拝メッセージ  他の年の礼拝メッセージへ      トップページへ