8月29日 礼拝メッセージ

「活ける神と命の言葉」 列王記上18章41−46節

日本の国は緑が美しい、特に新緑の頃は若葉の緑が美しい。冬は雪景色、年が明けると水仙が咲く、2月になると春を告げる梅が咲き、三月には桃が咲く、四月は日本中に見事な桜が咲く、五月は皐月、六月は菖蒲に、紫陽花が咲く、七月には向日葵、八月には百日紅が彩る。そして秋は紅葉が美しい。シナイ半島に行くと山に緑はない。平地は荒れ地で時々、枯れた様な灌木を目にするだけである。イスラエルに入ってもユダ山地は見渡す限り緑を目にすることは出来ない。イスラエルの南部は年間25mmの雨量だという。北部は年間雨量は平均800mmぐらいで緑は豊かであるが、日照りが続くと深刻な飢饉になると言われている。
紀元前8世紀の後半、イスラエルが南北の王朝に分かれていた時の北朝のアハズ王の時代である。3年以上の雨が降らず、大変な飢饉が続いていた。北朝のアハズ王は悪政で知られ、その妃イゼベルは影の実権をほしいままにし、干ばつの危機にありながらバアルやアシラの偶像礼拝に心酔していた。創造者である真実の神の預言者を捕え迫害し、殺害した。王の側近の宮廷長オバドテは敬虔な真の神を信じる信仰者であった。神様は彼を用いて一人残った主の預言者エリヤに出会わされ、アハブ王に会わせられる。アハブはエリヤを見て「お前が災いをもたらしている元凶だ」と罵る。エリヤは「主の戒めを捨てバアルに従っているあなたこそ国を煩わしている」と言い、真実の神が、どちらか試してみようと言う。そこで悪妻イゼベルに仕えているバアル450人とアシュラの預言者400人をカルメル山に集めるように言った。「主が神であるなら、主に従え」と語り、二頭の牛を持ってこさせて、祭壇を築かせた。薪を積み、アシラとバアルの神に祈り、火を求めて焼き尽くしてくれるように祈れと言った。バアルとアシラの預言者は声を張り上げて朝から昼まで祈ったが何の変化も起こらなかった。昼過ぎから彼らは踊り狂うように叫んだが火は降らなかった。そこでエリヤは従者の者と共に「主の祭壇」を築き、周りに堀を掘り、薪を積み、犠牲の牛を乗せて、四つの甕(かめ)に水を満たし、一度ならず三度注ぎ「み言葉によって行ったことが、今日、あなたが神であることが明らかになるように」と祈った。すると天から火が降りことごとく焼き尽くした。人々は「主こそ神である。主こそ神である」と叫んだ。そしてエリヤはアハブにかわききった青い空を見上げて「祝宴を開きなさい。豪雨の音がする」と言った。そしてエリヤは顔を膝の間にはさみ祈り続け、僕に言った「上って行って海の方を見なさい」何も見えない海のかなたを七度にわたって見させると「海のかなたに手ほどの雲があります」と言うのであった。エリヤは「急いで山を下りて雨を避けなさい」と言った。しばらくすると風と共に激しい雨が降ってきて未曾有の飢饉を救ったのであった。
この聖書の記事が伝えるメッセージは、第一に、偶像の儚さと活ける神の力を明確に教えることにある。いつの時代にも、様々な宗教が人を惑わしている。聖水と称して治療の効用を説き、高価な値段で売る。手で造った彫刻、描いた像を拝み、商売繁盛、家内安全を祈る。その空しさを教えている。「偶像を形づくる者は皆、無力で彼らが慕うものも役に立たない。彼ら自身が証人だ。見ることも、知ることもなく、恥を受ける。 無力な神を造り役に立たない偶像を鋳る者はすべてその仲間と共に恥を受ける。」(イザヤ44:9−11)第二に、真実の神は「主は生きておられる」と言うことに尽きる。「み言葉によって行ったことが今日明らかになった。」(列王上18:36)神が約束(言葉)されることは明確に結果が出ると約束している。「神は、言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。…神の祝福されたものをわたしが取り消すことはできない。」(民23:19、20)第三に、主の約束(言葉)を待ち望むことである。エリヤは祈り、七度目応答を求めて「手ほどの雲」を見る。そのかすかなしるしを信じて待ち望み、確信して準備を始める。そして大雨が降る。宣教の閉塞感の中で祈り、祈りを続け、待ち望む時に祝福のリバイバル(回復)がそこに証明される。「主こそ神です。主こそ神です。」(列王上18:39)と告白し感謝できるように。



今週のみ言葉 マルコ11章24節




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