10月17日 礼拝メッセージ

「共に歩まれるキリスト」ヨハネの黙示録3章20−22節

毎日流れるテレビのトレンド情報を見ると日本は国の政治的な不安定さや世界の経済の中で翻ろうされ、企業は疲弊して、雇用不安が満ちている感じである。医療は救急事態に対処できずにたらいまわしにされて悲劇で終わるニュースがよくある。しかし、世界を旅して分ることは日本が素晴らしく豊かな国であることである。戦中、戦後、食べるもの、着るもの、住まう家がなく、社会保障はしたくてもできない貧しさであった。今は、飽食の時代であり、栄養過多のメタボで国民の三分の一が糖尿病の危険にある。生活が立ち行かなくても衣食住や医療、教育は保証され、世界一高度な医療が低価で保障されている。豊かな娯楽、豊かな情報、快適な電化生活などに埋もれている。
聖書は「あなたは『私は金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない。』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しいもの、目の見えない者、裸の者であることが分っていない。」(黙3:17)と言っている。これは現在のトルコ中部の古代の町ラオデキヤの教会の人々に語られた主キリストの言葉であった。当時はローマ帝国時代でラオデキヤの町は西の海岸にあるエペソから東方への通商・政治の要衝であって通商経済で繁栄していた。それだけでなくこの地方の特産である光る黒羊毛は織物で有名であり、ここには薬学校があって目薬が生産されて世界に広められていた。ラオデキヤの教会には迫害の危険もなく、信仰において偶像礼拝や、取り立てた不品行もなかった。しかし、経済的繁栄と平和のゆえに自己満足に陥入り、なまぬるい信仰になっていた。“なまぬるさ”はどっち付かずであり、はっきりしない。名前だけのこの世に妥協した表面だけの信仰生活を指している。そして言われる「そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。」(18)「裕福になるがよい」は、現実をしっかりと見極めて心にある信仰の確かさをみ言葉によって悟り、「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ロマ12:2)と言われていることに目を留めることである。「悔い改める」(19)ことである。「精錬された金」(18)を求めなさいと言われる。それは見せかけの経済豊かさでなく、キリストを土台にした火で「精錬された信仰」(コリントT、11,12)に立ち、綺麗な織物に酔いしれるのでなく、人を永遠の命へ導くキリストがくださる「義の衣」を身につけ、造っている目薬でなく魂の目を開かせ、主キリストを見ることが出来る「目薬」を求めよと警告されている。そして「自分を欺くな」と忠告される。
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(黙3:20)キリストは私たちが心の戸を開くまで待っていて下さる。
戸をたたき続けて下さる。それはキリストが私たちを愛し続けて下さる姿である。心を開いたところでは、キリストとの交わりが始まる。どんな時にも失われない心の支え、不変の命、永遠の命の確信を約束される。「物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フイリピ4:12,13)幕末、慶応元年、弾圧を隠れてキリストを信じていた数人が、長崎で出来たフランス人の教会に訪れた。開国の気風が広がりながらも、まだキリスタン禁制であり、この事から三千六百人が土地屋敷を奪われ、分散流刑となった。いたるところで拷問に殉教した。この事が世界に知れ、西洋諸国の申し入れにより、明治4年に禁令が解かれたのであった。この犠牲がなければ長く信仰の道は閉ざされたと言われる。キリストにある真実の豊かさ永遠の命こそは人の心を支え、希望となり、今も多くの人の心に生き続けている。キリストを信じることは、キリスト共に生きることであり、キリストは信じる人々に豊かに命を与えられる。(ヨハネ10:10)そこに真実の喜びと勝利が約束される。
「世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。」(ヨハネT、5:4,5)



今週のみ言葉 「わたしは世の終わりまで・・・共にいる。」




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