12月12日 礼拝メッセージ

「人になられた神」ヨハネによる福音書1章14―18節

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」(ヨハネ1:14)
クリスマスを迎える最後のアドベントの聖日になりました。イエス様の御降誕をお祝いする前にしっかりとその意義をしって、その喜びを心からお祝いしたいものです。
ヨハネによる福音書はクリスマスの意味を語っています。「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」と記しています。「言葉が肉となった」というのは、「神様が人になられた」ということです。1章の1節には「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあります。神は「言」によって全てのものを創造されたのであって(ヨハネ1:3)「言」こそは、神様、そのものであり自然の仕組みには、秩序と調和があることを指摘しているのです。その創造の仕組みの現れこそ神様の「恵み」即ち、カリス「賜物」にほかなりません。ですから「恵みと真理に満ちていた」と云っています。「恵み」こそは「神様の愛」であるのです。そして、「真理」は不変の原理を指しています。
第一に、「真理」は、正に、創造の原理の中心は秩序と調和であることを証ししています。この事から、人間が生かされていることを知ることが出来ます。そのことを否定し、忘れることは神様から離れていること、忘れていることになるのです。人間は、自分が自然を支配して、開発し、利用して欲望を達成しようとすることになり、そこから破壊と騒乱が生まれます。「神のない教育は悪魔を作る」と云った人がいます。神の偉大さを知る時に人は謙虚になります。神のない傲慢は、差別、卑下を生み、自然の破壊を生むのです。
謙虚こそは人間性の根本的な徳性であると言えます。真理とは「神の栄光」の基なのです。第二に、創造は、神の「恵み」であり、神の「賜物」、即ち、「神の愛」の告白であるのです。神を信じ、そのことをが解かる時、そこには「感謝」が生まれます。愛されている存在としての自分を発見するのです。愛されて初めて人は愛することが出来るようになるのです。 人が真実の「謙遜」と「感謝」を取り戻す時に、真実の平和と調和の希望が与えられるのです。神の愛で営まれる道が開けるのです。その道こそは「真理」の道、神の喜びを経験する道であるのです。そこにこそ神をほめたたえ、その恵みを崇める現実が生まれることになります。正に、「神の栄光」が現わされることを指しているのです。
「恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」(ヨハネ1:17)と言います。イエスキリストは、人々が忘れ、見失い、拒絶していた神の恵みと真理を示された。「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(1:18)神は愛であるからこそ、破壊と混乱の中で罪深く争う世界に犠牲を払って、創造の調和と希望を回復するために人となり人々に真実の解放と救いの道、真理と恵みを示されました。それがイエス・キリストであるのです。心の底からクリスマスを祝うためにこのキリストが示された「言」の道に進み、神様の約束される神の国を現実の生活の中で経験しようではありませんか。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
(フィリピ2:6−8)








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