12月19日 礼拝メッセージ

「クリスマスの希望と喜び」ルカによる福音書2章1−21節

Merry Christmas クリスマスをお祝いいたします。Merryメリーというのは「楽しい」「陽気な」という意味で「嬉しい」喜びのクリスマスと言うことになります。クリスマスの「喜び」はイエス・キリストがお生まれになった「喜び」であるのです。「 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18)誰も神様を見た者はいない。神の御子が「神を示す」ために人になられた。それがキリストの御降誕であるのです。見えない神を示す。真実の神を知らせるために、起こり得ない出来事を起こされたのです。起こりえないことが起こる。人間が自然の中で経験したことのない出来事が起こる。それは正に、奇跡であるのです。「キリストは、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1:14)と記しています。この「宿る」は聖書の言葉ではスケノオーという言葉で「住まう」「居住する」と言う意味であるのです。スケノオーはもともとスケネー、即ちテント、天幕と言う言葉であるのです。テントは仮の住まいであることから神様が一時的に人になり、ご自分を“示された”と理解できます。聖書はルカの福音書2章の1節で「皇帝アウグストの人口登録の勅令が出た」ことを記録しています。そして「キリニウスがシリヤの総督の時の最初の住民登録である」と記しているのです。これは大切な歴史的な事実の記録を証言しているのです。クリスマスは幻想でなく、歴史の中で起こった事実であることを示しているのです。
第一に、クリスマスは神が人になられた出来事であるのです。「 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18)このニュースを聞いた人々には喜ぶ人と、疑い、信じなかった人がいました。神を見るのは不可能であると思う人は、神が見えるということは「嘘」であり、でたらめであって、でたらめであれば神様を冒涜する大罪者であるということになるのです。毎日の生活で自然の中で繰り返し起きる現象は不思議に思わないものです。しかし、一回しか起こらない経験であるときには人々は驚き、騒ぎ、不審に思うのです。それを奇跡と言います。起こり得ないと思っていることが起こるそれが奇跡です。実際に、起こっている現象を否定することができないといえます。神が人になるということがイエス・キリストによって起こったのです。「彼は、人であられたけれども、神を示された」のです。この起こりえないことが起こった驚き、感激こそはクリスマスの喜びであるのです。キリストは「神は愛である」ということをその生涯をかけて言葉と歩む姿で教え、示されたのです。
第二に、イエス様が真理を語り、愛のメッセージとしての様々な奇跡を行なっても神と認め、信じることのできなかったのはユダヤの指導者である律法学者や祭司でした。主のご降誕の知らせを聴いたのはベツレヘムの野辺で野宿をしている羊飼いたちでした。貧しく、孤独な人々であったといえます。夜空に突然輝く光が差し込み、天から「救い主がお生まれになる」という声がして彼らは驚きと喜びで早速、聴いた町ベツレヘムに行くのです。彼らは信じたのです。そして天からの声の通りで再び感動と喜びに満たされるのです。イエス様は信じない人々によって最後に十字架にかけられるのです。神を拒むところに争いが生じ、混乱と不信が起こることを示しています。権力と富、知識と理性に恵まれて心の目を閉じている人にはクリスマスはわからなかったのです。その人間の不幸と争いの元である罪から救うために「神は人になられた」のがクリスマスです。だからこそクリスマスはうれしいのです。
第三に、イエス様は神の子として「神の愛」を示されたのです。人は、神を忘れ、拒むときに「愛」を見失うのです。愛はみえるものではありません。愛され、愛し、愛し合うことの中で愛は生活や人生を築きあげることになります。神様の愛は平和と希望の命です。私は、55年前に高知で淵田美津男さんの講演を聴きました。この方は真珠湾攻撃の総指揮官の軍人でした。戦後、従軍兵の裁判のために東京にいたところ渋谷の駅前でアメリカの宣教師に聖書を貰ったというのです。その宣教師は太平洋戦争に従軍していた兵士でした。帰国してイエス様に出会い真実の神の愛は、赦しと平和であることを知り、日本の宣教師になったというのです。淵田さんは聖書をホテルで読み、十字架にかけられていながらイエス様が「彼らは何も知らないのです。赦してください」という言葉に感激してクリスチャンになり、やがてイエス様の福音をつたえる伝道師としての生涯を歩むのです。
クリスマス、それは「神様の愛」に生きる希望と喜びのときであるのです。敵を憎み、破壊と殺りくの道から、人々が神の心を取り戻す時には、和解と平和、協調と共生の希望が生まれるのです。クリスマスはその希望と喜びのときなのです。




今週みことば   ルカ2章11節




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