2011年 1月元旦 元旦礼拝
  メッセージ
  
メッセージタイトル  「祝福の秘訣と結ぶ実」
聖書箇所  フィリピの信徒への手紙3章
 お正月は「明けましてめでとうございます。」の挨拶で始まります。
 「おめでたい」のは年が改まり、新しくなったことだと言います。
 日めくりの区切りではありますが、実際の仕事や事業の仕組みからして3月が年度決算の区切りになっています。仕事や家事さえもしない。家族がそろって雑煮を頂き、正月独特の食事の習俗があるのです。
◆年末年始の伝統

しかし誰に聞いても、その意味は解りません。そして、除夜には神社仏閣を日常の信仰とは関係なしにお参りします。習俗は伝承や出来事を後世に伝え、記念する、即ち、「思い出す」ことを形式化して生活に伝承することを意図するのです。お正月の宗教的な意味合いは誰にも分りません。

 旧約聖書の出エジプト記の40章に「正月の元日にあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない。」(2)とあります。
そして、次の年の元日に落成します。そして、エジプトから解放されたことを記念する祭りがおこなわれます。仕事を休み、特別な食事を用意しました。

やがてイスラエルは飢饉のためにエジプトに食料を求めて行きました。
多くの兄弟たちに嫉(そね)まれて不遇な人生をたどりながら神に守られてエジプトの宰相にまで成って権力の座についていたヨセフは、やがて兄弟が助けを求めて来るのですが、赦し、受け入れ王の庇護のもとで平安な日々を送りいつしかエジプトの定住するようになります。

その後ヨセフは世を去り、時は移りエジプトの政権が変わるといつしかイスラエルの民が多くなるのに不安を感じて搾取と酷使が始まるのです。

イスラエルの民は神が約束されたカナンの地の言い伝えを思い、苦しみの中で祈るのでした。神はモーセをたてられ不思議な経緯の中でエジプトからのイスラエルの解放のために用いられるのです。

そして、様々な不思議と奇跡をもってエジプトから逃れる機会を与えられるのです。神がモーセを通して苦しみからの解放を成し遂げ、神は彼らに礼拝する天幕を完成させられるのでした。

やがて、イスラエルは栄光の統一王国をカナンに築きますが、数十年で南北に分裂し、北王朝の10部族は紀元前8世紀ごろアッシリヤに滅ぼされて散らされます。
失われたイスラエルとして世界にその残滓の伝承があります。中央アジや中国、そして東の島、日本にもあると言われ学術的な研究がなされていますが確証はないようです。


◆失われた十部族と日本の神道

最近、アイデルバーグというユダヤ人の学者が失われた十部族の研究で日本との繋がりで日本の宮司にまでなったのではないかという文献が出され、その中で興味ある説明が多くなされています。

その一つに、ヘブル語のトシャ・ゴイという表現は「国を助けたまえ」の意味で、同じ「助けたまえ」のホシャ・ナという言葉はユダヤの「仮庵の祭り」の祈りの中で言われます。日本では年の初めに豊作を祈る祭りは「トシゴイの祭り」と言われ、「祈年(トシゴイ)祭」となります。

ユダヤでは「仮庵の祭り」はユダヤ暦の正月の元日に行われます。仮庵とは幕屋と言われ、神の臨在の中、礼拝が始まった画期的な出来事でした。関連して「ハカシャ」は「手をたたく」であって「拍手」、神道の「カシワデ」は語源が定かでなく、「拍手」を「ハクシュ」と読み、実に「ハカシャ」と酷似していると言います。

「一つかみの」を意味する「クムツァ」は聖書(レビ記2:2)では神にささげる供え物として用いられており、「クモツ」供物として日本語となっていると言うのであります。

ともあれ学術的にも多くの謎が残されているようでありますが、そのほかにも日本には太古の昔から、意味不明の囃子の言葉があります。

伊勢神宮の町にある神社灯篭にダビデの星が刻まれている謎、神社の諸様式の類似性が云われているのです。

このようなことから日猶同祖論を主張する学者もいるほどです。それは一つのロマンであるのでしょうが、定かではないようです。

いずれにせよ、正月の伝承の謎はロマンであり、聖書の記録は、真実の神、創造主なる唯一の神に出会う礼拝の天幕が建てられたのが、新たなる始まりである正月であると言うことです。

◆お正月とクリスチャン

クリスチャンにとっては「新しい年のはじまり」=「新しい創造」は神様の「愛」の啓示であり、呼びかけであるのです。

この事は第一に、イスラエル、神に選ばれた神の民が、創造主なる神に生かされている恵みを確かにする記念すべき時であったのです。

第二に、神の言葉に生きる民の祝福を確認することでした。

第三に、神は、生きておられる神である。今も、どのような時も信頼する者にとって生きる勝利の鍵でしあることを告白することになるのです。

「愛されている自分の確認」創造の根源であり、命の根源である創造主なる神への感謝の時、信頼するものに祝福を与えられると確信する時でもあるのです。

だからこそ「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピ3:13,14)

キリストは信じる者に目標を与えられます。「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(2:13口語訳)先ず、キリストの言葉に聞くことによって、目標が与えられるのです。

過去にこだわることなく、過去を生かすために、目標をハッキリとつかむこと、実現を信じて、大胆に取り組む時に祝福は必ず結実します。

「神は人ではないから、偽ることはない。人の子ではないから、悔いることはない。言われたことを、なされないことがあろうか。告げられたことを、成就されないことがあろうか。」(民23:19)


 
【今週のみことば】
マルコ12章29―30節
イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』」


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