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2011年 1月9日 |
礼拝メッセージ |
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メッセージタイトル |
「豊かな実りの一年」 |
聖書箇所 |
マタイによる福音書13章18−23節 |
正月は新春と言って暦の上では春を意味するようです。春は希望を表す季節と言えます。多くの食物の種は春に植え、秋に刈り入れます。刈り入れを夢見て土を耕し、肥料をやり、種をまき、除草し、手入れしながらみのりを待つのです。
時が来れば実るその希望に支えられて工夫をする、我慢して努力する、気を入れて手入れをする。刈り入れる喜び、脱穀する楽しみ、共に食する喜びは誰よりも種をまいた人、手入れをした人が多く報われる。
この一年も成長と発展を願って、取り組んでいきたいものです。
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◆キリストの言葉が豊かに私たちの内に宿る
この正月に与えられたコロサイの信徒への手紙3章の16節には「キリストの言葉があなた方の内に豊かに宿るようにしなさい。」とあります。
何をさておいても基本的なことは「キリストの言葉が豊かに私たちの内に宿る」こと、即ち、“心の中にキリストの言葉が植えられる”ことです。
この事はマタイの福音書の13章で述べられているキリストの「種まきの譬」に教えられています。キリストを信じる信仰の実は、まず、種の蒔かれる土地によってその後の成長と実を結ぶ結果が大きく左右されることになるのです。
ここに先ず,実りのない根本的な問題が3例示されます。
その第一は、道端に落ちた種です(4)。鳥が来てついばんでしまった。これは蒔かれたけれども、悪い者が来て、折角、心に蒔かれたものを奪い取られる事を言うと、主は指摘されています(19)。
前提としてほとんどみ言葉に関心がないことを言っているようであります。
確かにクリスチャン生活を送っているようでありますが、「御霊の実」の芽さえ見えないのです。
それは全く世俗的な流れに迎合してしまっていて性格や生活に変化がないことを言います。
詩編の言葉に「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」(詩119:105)とあります。
み言葉を聞いても、心に残らない。受け入れないということは、心の窓を閉ざしていることであり、み言葉の光が心に射し込まないことになるのです。自分の姿が見えないことであり、自分の現実を自覚しない。解らないことを意味します。
現実の自分が解らないと、何が原因であり、どのように改善するのかが解らない。取り組む道筋が見えないのです。そこには成長も発展も期待できないことになります。何年たっても変化がないのです。
第二に、石だらけの土地に蒔かれた種である(5)。芽を出すのであるが日が出るとすぐに枯れてしまう。自分の心に根付かないのである。喜んで教会生活を送っているようであるが、“患難や試練”が来ると、どうしていいか分らなくなり躓いてしまう(20)。
日常の生活には健康の問題や人間関係、仕事の問題、逆境に出会うこともある。こんな時にこそ力となり、支えとなるみ言葉が役に立たない。み言葉を知っている事と適切にそれが生活に応用でき、役立つこととは別である。試練の時にこそ力となり、行くべき道とならなければ実を結ぶことは出来ない。み言葉、即ち、神の言葉、み言葉は神が共にいて下さることです。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。」(詩46:2)そこには迷いもなく、恐れもないと約束されています。
試練こそ自己成長の機会であり、「苦難をも誇り(喜び)とします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」(ロマ5:3,4)
第三に、茨の間に落ちた種である。茨が伸びて覆い成長を留めて実らないのです。
これはこの世の思い煩いや、富の誘惑が阻むことを指しています(22)。世の思い煩いは世間を気にして自分を見失うことであり、人を気にすることです。
神様との関係よりも人と人との関係、つき合いであり、信仰よりも金品に心を捕われることであるのです。神様は「実」を約束しているのです。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15:5)
“豊かに実”を結ぶことが約束されていることを心に留める必要があります。キリストはハッキリ言われています。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。」(ヨハネ15:7)
最後に、「実を結ぶ良き地」とは、「キリストにつながる」ことであり、キリストの「み言葉」に生きる、従う、実践することです。それが「信じる」ことであるのです。
信じ切って実践するときに祝福の実は実ると約束しています。
「主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩1:2,3)
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル11:1)
豊かに祝福の実を収穫する一年でありましょう。
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【今週のみことば】
ヘブル3章14節 |
わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、
キリストに連なる者となるのです。
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