2011年 1月23日 礼拝メッセージ 
メッセージタイトル  「祈りによる祝福」
聖書箇所  エフェソの信徒への手紙6章10−18節
 「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(ヨハネT4:7)

 神様を信じている証しは「人を愛すること」であるのです。「愛することのない者は神を知りません。」と聖書は記しています。

クリスチャンは神様を信じています。神様を信頼することは神様が自分を愛して下さっていることを知っているからにほかなりません。

神様の愛を知っている。知っているだけでなく愛している人は、「互いに愛しあう人」になるのです。

だからこそ「わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(:12)

愛の証しは「交わり」です。私たちの内に留まって下さる神様とは、愛する人との「神の交わり」であり、その交わりこそが祈りであるのです。

信仰を知っていることと「信じている」こととは違います。神様の「愛を知っている」ことと「愛している」ことは違うのです。愛していることは「交わり」生活のすべてが、神様と共に生きていることなのです。

云いかえれば交わり、即ち、「祈る生活」がなければ、神様を「信じている」「愛している」事になりません。祈りは「生きた信仰」の証しです。

生きた信仰は成長します。成長は生活と人格に実を結ぶ証しとなります。主イエスは、祈られた。父なる神と共に、神としての証を示されました。それは祈りです。

「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)

そこで第一に、祈ることは「人を思う」ことなのです。「思う」ことはその人と共にいることでもあります。「思う」ことは「心配する」事でもあるのです。勿論、自分のために祈ることでもあります。クリスチャンにとって「思う」ことこそ「祈る」ことであるのです。

人の存在は、空間や時間でなく、心に「思う」ことによって存在し、願いに通じるのです。そこに「祈り」があるのです。

 第二に、祈りは「願う」ことにあります。愛する人の幸せを願うことは「祈る」ことにほかならず、目的のない祈りは祈りではないのです。キリストの御心が成るように、神に喜ばれるように願うことこそ、祈る祈りが芽を出すようになるのです。

 第三に、「求める」ことです。具体的に、現実的に願いが、実現出来るように求めることこそ、「愛している」ことの気持ちを図る物差しとなります。
主イエスは「気を落とさずに絶えず祈らなければならない」ことを教えられました。(ルカ18:1)また山上の説教の中でも「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ7:7)と教えられています。
その根拠は「神様の愛」であるのです。それは誠実であり、真実でありたもうからです。

「わたしの口から出るわたしの言葉(約束)も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むこと(約束)を成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55:11)

 4世紀の偉大なる神学者にして指導者アウグスチウスは、若いころには放蕩に身を崩し、手のつけられない人であったというのです。

しかし、イエス様を信じるお母さんのモニカはこの放蕩の息子をなんとかならないかとミラノの教会の監督に説得して下さいと嘆願したのです。

監督はモニカの流す涙をふくように云いながら「祈られている子は決して失われることはない。」と云ったと言われています。母モニカは実に17年祈り続けたのです。彼は、イエス様に出会い、回心しキリスト教の歴史に偉大な業績を残す人になったのです。

祈りは聞かれる。実現する「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブル11:1)

 第四に、祈りの答えは、「主の御手にある」ことを信じて、「ゆだねる」ことです。「祈る」ことは「信じる」ことであるのです。信じることは信頼することであり、約束を信じることです。全能の神、知り尽くされている方、配慮の主であるのです。

主イエスは言われる「だから、言っておく。祈り求めるものはすべて既に得られたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。」(マルコ11:24)

 豊かな実り、豊かな祝福の実は、神を信じる信仰、神を愛して祈り時に結実することを信じて祈ろうではありませんか。祈りは祝福の鍵である。祈るクリスチャンは強いのです。
 

【今週のみことば】
エフェソの信徒への手紙6章18節

 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。


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