2011年 3月13日 礼拝メッセージ 
メッセージタイトル 「生かす言葉と死んだ言葉」
聖書箇所 サムエル記上3章1−21節
昨日、東北、関東で大地震が起こり、巨大な津波が多くの人々の命と財産を根こそぎにしました。ニュースを見るたびに涙流し、驚愕するのです。試練と悲しみにある人々が立ちあがれるように涙を流しながら切に祈るのです。昨日は、三浦綾子読書会で会長の長谷川先生も東京からお見えになれず、仲間と自主研修をしました。テーマ書は「道ありき」で綾子さんが戦後、教師を止められて発病し13年間の苦悩と悲惨な闘病生活の中で神の言葉に希望を見出し、三浦光世さんとの出会いまでの回想録である。クリスチャンの療養医学生前川正との交友の間で「綾ちゃん、人間はね、一人一人に与えられた道があるんですよ」という言葉がある。一人一人の生涯が、どれほど辛くても、耐えがたくても、そこに『道』があるのだと、自ら過酷な生涯を示しながら、読者に語りかけてくるのです。正に、ヨハネによる福音書の14章6節にある「 イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」という言葉に示されている『命』に至る『道』を示しているのです。
満ち足りた豊かさ、溢れる情報と娯楽、すすんだ社会保障と医療、教育や教養がある現代社会です。しかし、犯罪や人間不信に陥る「おれおれ詐欺」の横行、豊かさの中の政治不信、不安と絶望、葛藤が渦巻いています。人は、何が、足りないのでしょうか。旧約聖書のサムエル記にあるサムエルの召命の逸話は「主の言葉はまれで、黙示も常ではなかった。」という言葉で始まります。世情は荒れ、道義は失われ、精神的指導者祭司エリの家庭でも息子たちの非行がやり玉に挙げられ、老衰し視力をなくしたエリは何もできない状態になっていた。神殿では幼いサムエルが、神灯を守りながら寝ていた。彼は「サムエルよ」という声を聞き、エリに「何ですか」と尋ねに行くが、エリは「呼ばない。帰って寝なさい」という。三度、同じことがあって、エリは、主が呼ばれえていると悟り、「僕は聞きます。主よ、お話し下さい。」と言うようにと教えた。サムエルは再び、声を聞き、「主よ、お話下さい。」と言ったのです。エリの家への裁きの予告であったのです。サムエルは苦しみました。師であり、老いて目の見えないエリに到底言えないことでありました。エリは、疲弊した現実、堕落した現実を指導できない苦悩の中でサムエルから主のメッセージを聞こうとします。それは勇気のいることでありました。しかし、その厳粛な神の御心を受け入れたのでした。そして、イスラエルを再建する神の言葉を携える預言者としてサムエルが用いられるようになるのです。
豊かさと繁栄であろうと、試練と苦悩の時であろうと人にとってなくてならないのもが何かを教えているのです。預言者アモスが言うように「 見よ、その日が来ればと主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。」(アモス18:11)神の言葉の飢饉であるのです。真実に人を生かすのは言葉であるのです。真実の言葉、神の言葉は、人を生かすのです。結核を患っている三浦綾子さんは、医者に熱があると言えば「気のせいだ」血痰が出れば「ちょっとした風邪でも鼻血は出る」「レントゲンにも症状の影はない」と言う言葉に不信を持つ。明確な原因が解れば治療も出来る。その後、カリエスになってくのであるが、真実に自分の内の罪の恐ろしさが解らなければ、神様の赦しも解らないということに気づくのです。
「神の言葉」は「命の言葉」であり、「救いの言葉」「恵の言葉」であるのです。人間を造り変え、罪と悪癖から解放し、命に溢れる人生に造り変えてくださるのです。三浦綾子さんは病気のデパートと言われるくらいに様々な病魔に悩まされながらも76歳まで生き、多くの人々に生きる希望と慰めと励ましを与えている方です。すでに、天に帰られています。しかし、三浦文学で多くの人が今も希望と安らぎを得ています。彼女は人々の心に生き続けているのです。「彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。」(ヘブル11:4口語)神の言葉は永遠であるのです。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」(マタイ14:35)人を殺す言葉がある。人を責める、人を賎しめる、人を傷つける、人を罵倒する言葉がある。一方、人を慰め、励まし、いたわり、支え、赦す、人を生かす言葉がある。その言葉こそは、光であり、力であり、命である。神の言葉であるキリストの言葉である。福音の言葉である。神の言葉の飢饉こそは恐るべき試練であることを忘れてはならない。
「キリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
4:2 御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(Uテモテ4:1,2)

 

【今週のみことば】
サムエル記上3章10節
主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。
「サムエルよ。」サムエルは答えた。
「どうぞお話しください。僕は聞いております。」


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