2011年 5月22日 礼拝メッセージ 
メッセージタイトル 「幸せ実現の確かな条件」
聖書箇所 ヨハネ17章20−23節
東日本大震災から二ヶ月半が過ぎた。被災した人は避難所から仮設住宅に落ち着くのは8月になるという。原発の放射能汚染から強制退去を余儀なくされている人たちの心情を思うと気持のやり場のない悲しみがこみ上げる。地域の共同体(村や町、役場の喪失)が崩壊している。組織と連帯(家族、町内、地域)が失われ生活基盤が全く一瞬にして喪失している現状である。全日本の人々が、「応援」している。世界の人たちが応援して、多くの義援金や生活物資を送っている。尼崎の社会福祉協議会からもボランテヤーを送ることが決まり、20名の募集をしたところ27名もが参加したという。どこでも「日本がんばろう」というスローガンが掲げられて東日本の苦悩を子供も大人の共有している。しかし、報道を見ている限り、復興へのいらだちであろうが批判が多く、政治家の無能呼ばわりは、心が痛む。みんな一所懸命に取り組んでいるに違いない。あるキャスターの「スローガンの精神論もいい加減にして、復興をなんとかしたらいいのに」と言ったようなコメントが気になる。町内でも、職場でも、学校でも掛け声から始まる。政治の責任者が掛け声だけでは困る。しかし、人々がこの苦しみを何時までも共有し、苦難を乗り越える「掛け声」こそ、協働の絆となると言える。人から、心の思いをおろそかにして現実にだけ振り回される時に人間性を失うことになる。
苦しみにある人たちが困窮のためにやけくそになって暴徒となった例はまだ聞かない。そこには苦悩の中にも希望があり、支えている人たちがいる。応援してくれる人がいる。国を挙げてなんとか努力してくれているという共感と希望が人々を支えている。そこから自立的な力と勇気が湧いてくる。復興してもらう、援助される、受け身は停滞を生み、依存が自滅と停滞を生むことになる。すべての人と共に希望と協働のあるところに復興実現の躍動する勇気が生まれると言える。
復興の回復を批判し合う、攻撃、中傷し、自己勢力の有利な拡大を意図する政治屋、無責任で軽薄なジャーナリストこそは非難されるべきであろう。今求められるのは、一致であり、協力である。広大な災害地で注目しにくい僻地、隔絶された地域の被災者にも行き届いた道が開かれるように願わずにおれない。
イエス様は弟子達と最後の別れの時、祈られたのがヨハネによる福音書17章である。その願いは「すべての人を一つにして下さい。」(:21)「わたしが彼らの内におり、あなたがわたしの内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたがわたしをお遣わしになったこと、また、わたしを愛しておられたように、彼らをも愛しておられたことを、世が知るようになります。」(:23)イエス様の祈られた「一つになる」祈りは何を生みだすのでありましょうか。第一に、一つになる時「平和」が生まれる。二つに分れて対立するときは争いであり、抗争である。猜疑と不信、憎しみと憎悪である。第二に、一つになる時「希望」が生まれる。同じ目的、希望を持つ時に人は一つになる。第三に、一つになる時「力」を生み出す。分裂は勢力の喪失、疑心暗鬼、不協力となる。第四に、一つになる時、「喜び」がある。そこには安心があり、信頼があるからである。
イエス様の祈りは先ず、「彼らも私の内にいるようにして下さい」であったのです。「完全な一つ」は「私たちがキリストにいる」ことによって一つになるのである。これは正に、「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:14−16)敵意と言う罪業を、キリストを信じる信仰によって取り除かれた。神が、愛して下さる愛に生きることである。愛する者のために犠牲になる。その愛に生きる決断こそはキリストを信じる信仰の実である。「愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3:14、15)
マルコによる福音書2章には一人の中風で歩けなくなっている人を4人の人たちがと板にかついでイエス様のところに連れて来る記事がある。多くの人で家に入れないので4人の人は屋根をあけてつるして下ろし、イエス様に癒しを乞うた。イエス様はこの熱心で一途な4人の信仰を見て、この中風の人を癒された。苦悩する人をなんとかしたい気持ち、常識では考えられない屋根をはがしてつるすという行動をする。助けたい、直して上げてほしい。この四人には、「愛」があった。「一致」があった。「行動」があった。「勇気」があった。「信仰」即ち、「希望」があった。そこに神の道が開けたのである。

 
【今週のみことば】
エフェソ4章2節

 一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し・・・


 ページのトップへ    2011年の礼拝メッセージ  他の年の礼拝メッセージへ      トップページへ