2011年 6月19日 礼拝メッセージ 
メッセージタイトル 「驚くべき約束の力と恵」
聖書箇所 使徒言行録2章40−47節
キリスト教会の歴史は2千年、歴史の変遷の中で教会は様々に変化してきました。教会組織が硬直化して霊性を失い信仰の命を失ってきたこともありました。その度ごとに神様はその時にふさわしい人を立てて教会を生き返らせて来られました。その時に共通している事は聖書の記録に立ち返り、イエス・キリストの十字架の出来事の意味と教えに立ち返ることでした。そして、最初にキリストの教会が生み出された出来事の原点に返って、その福音の命を取り戻したことでした。
アッセンブリーの教会はペンテコステ派といわれます。それは五旬節と言う意味であって「過ぎ越しの祭の日」から50日目を意味します。「過ぎ越しの祭」はイスラエルがエジプトで圧政に苦しんでいる時、神様は十の不思議なわざをもって彼らを解放されます。その最後の出来事でありました。イスラエルはいよいよエジプトを脱出し、シナイの荒野を旅するのですが50日目にモーセがシナイ山で十戒を授かるのです。そしてイスラエルは神の御心を、十戒を通して知り、神に選ばれ、愛されている神の民として召されている確信に至るのです。いわば、神の民の民族の誕生としての記念すべき出来事となったのです。後に、カナンの地に定着して刈り入れの祝いと共にいつまでも記念して祭日とし守り伝承するのです。「み言葉」が与えられた、神の民の誕生として祝うのです。
この「日」、ペンテコステの日に主が約束されていた聖霊がイエスの弟子たちに降るのです。弟子達は聖霊に満たされることによって「力」が着せられるのです。その「力」によってイエス様の十字架と復活の出来ごとの意味が体験的に理解出来るのです。言換えればモーセによって与えられた「戒め」の真実の目指す目的が「イエスの十字架」の出来事の意義であったのであり、「永遠の命」としての復活であったのです。そこで神様の希望と平安、即ち、「救い」はイスラエルのものだけでなく全世界の人々にも開かれた道であり、求める人々は誰でも「神の民」として神様は受け入れて下さるという約束の出来事であったのです。「この方(キリスト)こそ、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです」(ヨハネT、2:2)そこに真実の新しい神の民、即ち、「キリストの教会」が誕生するのです。
イエスは、弟子たちに神のみ国を教え、そのみ力である様々な奇跡を示し、神を証しされました。そして十字架の出来事を通して真実の「神の愛」を示されたのです。そして復活によって約束の事実を証しされたのです。しかし、現実の弾圧と迫害の中で弟子たちは不安におびえ、うろたえ、失望するのです。現実に、イエス様のことがわけがわからなくなってしまっているのでした。しかし、主は、復活の後、弟子たちに行くたびも現れ、教え、諭し、約束の時、約束の「力」が与えられる。即ち、「聖霊」が降るときに「力」を受けると教えられたのです。そして、ペンテコステの日に弟子達が祈っていると、突然、強い風が吹き込み、舌の様な炎の様なものが一人一人の上に下って、一人一人が経験しない言葉で祈り始めるのでした。ペテロが旧約聖書のヨエル書のみ言葉を示され、これこそイエス様の約束の聖霊の降臨であることを宣言するのです。そして聖書に約束されている救い主が受難と罪の贖いであることを宣言し、悔い改めてキリストを信じるように勧めるのでした。この事があってその日に三千人の人々が信じて救われたというのです。
この驚くべき約束の「力」こそ、神の「恵み」であったのです。この恵みと力こそは教会に受け継がれているいのちであるのです。
この力は、神の愛の力です。この愛に生きる人々の集まりがキリストの教会であるのです。弟子たちは福音の確信に満たされました。恐れは失せ、確信と勇気を持って患難に立ち向かい、福音を語り、神の国を伝えるようになりました。
約束の力こそ、第一に、イエス・キリストを体験的に理解し、確信する力であるのです。第二に、約束の力は、神の愛に生きる力であるのです。第三に、その力は、神の国の喜びを持って伝える力です。宣教の喜び、勇気、忍耐、努力となって世界に宣教が進められているのです。
これがペンテコステ信仰の確信であるのです。初代の弟子達の教会に生きることにほかならないのです。
 
【今週のみことば】
使徒言行録1章8節
まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
 


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